SS一覧

2025年2月の投稿1件]

2025年2月26日 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

*伏虎:バレンタインのお話。

 二月十四日、午後六時過ぎ、──虎杖悠仁は、我に返ってしまった。

「……どうしよ……」

 世はバレンタインデーという行事に盛り上がる日。大勢の感情がひしめく中、そこには呪いの元となる負の感情もあるわけで。呪術師として多忙になるため勘弁願いたい時節ではあるが、それはそれとして行事ごとを楽しみたい気持ちもある。
 伏黒は元より興味なさそうで、釘崎は誰かに贈るというより自分が食べたいチョコレートを吟味するのに忙しそうで、各々がその日にかける思いは違っていた。そんな中、虎杖は、恋人である伏黒に手作りのお菓子を渡そう、と思っていたのだ。
 本人は興味なさそうだったが、渡せば喜んでくれるだろうと思った。彼に寄せる想いを形にして贈ることができる行事に乗っかろうと思った虎杖は、当日、任務を終えた後、自室でガトーショコラを作っていたのだ。お菓子を作る機会は今までそうなかったため、レシピを片手に、きちんと量を計り、手順通りに型に入れ冷やす。甘すぎると伏黒の口に合わないだろうと思い、甘さのバランスは調整済だ。ある程度固まったところで味見をして、美味しくできた、と一人頷いていたのだが、そのとき、我に返ってしまったのだ。
 恋人だと言っても、自分が手作りのお菓子を贈るなんて、重い、のではないか、と。

「……うぅーん……」

 作ったはいいが、伏黒へ贈ることに躊躇が生まれた虎杖は、キッチンで完成したガトーショコラを前に唸る。わざわざ手作りしたものを贈ってくるなんて面倒くさい、と思われるのは、嫌だった。

(別に、手作りを嫌がられることはない、と思うけど……)

 普段から虎杖が作った料理を食べることもある彼が、手作りを嫌悪することはないだろう。しかし、行事に乗っかるとなると、単なる料理に「バレンタイン」の意味が含まれるようになる。載せられる甘ったるい想いをどう捉えるかは、人それぞれだ。
 伏黒がどう捉えるのかは、想像しかできないけれど──。
 虎杖の心に、弱気が顔を覗かせる。面倒くさがられたくないな、という保身が先立って、無難な選択をしてしまいそうになった。

(……自分で食うか)

 数分悩んだ後、結局作ったお菓子は自分のおやつにして、伏黒には買ったチョコレートをあげようと思う虎杖は、ちらりと時計を見やる。午後六時を過ぎた時刻、今から都内の店に行くには時間が微妙だが、近くのコンビニで売っているチョコレート菓子を買うことはできるだろう。
 日常的によく見かけるお菓子を軽いノリで渡して、少しだけバレンタインの気分を味わいながら、いつもと変わらないやり取りを交わす。それがいい、と安易な選択をした虎杖は、「チョコレート売ってたらいいなぁ」と独り言を呟いた。
 味見分を切り分けるため取り出していたガトーショコラを保存容器に移していると、誰かが扉をノックする音が聞こえる。惰性的に「はーい」と答えた虎杖は、開かれた扉の向こうから聞き慣れた声で名を呼ばれて、ぎょっとした。

「虎杖、明日の任務」
「わーーーーっ!」

 間一髪、ガトーショコラを見られそうになった動揺で伏黒の声を掻き消すように叫んだ虎杖は、ばたんと音を立てて冷蔵庫を閉める。跳ねた心臓を落ち着かせるため、冷蔵庫を背に隠すように立つ彼は、「ど、どしたん伏黒、明日の任務?」と上擦った声で話の続きを促した。
 先程まで、手作りの代わりに何を贈ろうかと伏黒のことを考えていたため、狼狽えてしまう。取り繕おうとするが、そのとき、虎杖の挙動不審な所作に眉根を寄せた伏黒が、すん、と小さく鼻を鳴らした。
 数時間前にチョコレートを使ったお菓子作りを行い、完成したガトーショコラを先程まで出していたため、狭いキッチンには、チョコレートの残り香が漂っている。
 二月十四日に、キッチンでチョコレートの匂いを漂わせている理由を察せないほど、伏黒は疎くはなかった。

「……誰に渡すんだ?」
「へ?」

 突如変わった話題についていけない虎杖が呆けた声を上げれば、一歩距離を詰めてきた伏黒が「チョコレートの匂いがする」と彼の首筋に鼻を近づける。黒髪が頬を擽る感触に、思わず赤面する虎杖は、「ちょっ……こって……」と引っくり返った声をあげた。動揺がそのまま声に出てしまったため、気まずい思いで手の甲を口元に当てる。意識すれば、確かにチョコレートの香りが鼻についた。
 じっと至近距離で問い質すような眼差しを向けられて、言い逃れできない状況に目を伏せる。ただの市販のお菓子であれば、ここまで濃厚な香りはしないだろう。チョコレートを溶かして、材料を混ぜ合わせ、自身の手でお菓子作りをしていた故の残り香。
 まだキッチンの作業台にはお菓子作りで使ったボウルやヘラが残っていたし、部屋に入られた時点で負けだったと思う虎杖は、「……ガトーショコラ、作ってた」と答えた。

「誰に渡すんだ?」

 知りたいのはそこではない、と言うように質問を繰り返され、口を噤む。伏黒に、と答えれば、想いを込めた手作りのお菓子を渡そうとしていたことがバレてしまう。煩わしいと思われたくなかった虎杖は、「じ、自分で食おうかなって」と視線を彷徨わせながら答えた。
 真っ直ぐにこちらを見つめてくる彼の眼差しに、言葉が続かない。

「…………」
「…………」

 本当か、と問うような目に無言の圧力をかけられて、虎杖は視線を逸らす。
 伏黒に見つめられると、自分の考えや感情がすべてバレる気がした。見透かされるとか、暴かれるとかとは少し違う。全部筒抜けな気がするのだ。
 ……何で、こんなに伝わってしまうんだろう。
 伏黒のことが大好きで堪らないという想いも、随分前から悟られていた。自分はそんなにもわかりやすいのか、と思うこともあったが、おそらくそれは主たる理由ではないのだろうと思う。伏黒が、──彼が自分のことをよく見て理解してくれてるから、きっと。
 伸びてきた伏黒の指先が、すり、と虎杖の輪郭を撫でた。促すように、すりすりと指の背で頬を撫でられ、堪らない気持ちになる。
 そして。

「自分用でラッピングはしねぇだろ」
「あーーーーそれなーーーー」

 指摘され、キッチン台に出しっぱなしだったラッピング用袋の存在を思い出した虎杖は、呻きながら額に手を当てた。
 真っ当な指摘に、ぐうの音も出ない。自分の感情も丸わかりだったのだろうが、状況証拠が多すぎだ。なんも反論できん、と思い観念した虎杖は、「……伏黒に、あげようと思ってた」と白状する。

「けど、手作りは重いかなと思って……別で買って渡そうと思ったとこだったんだよ」

 恥ずかしさを誤魔化すため、がしがしと頭を掻きながら答えれば、小さく嘆息する音が聞こえた。そして、呟くように「オマエが作ったガトーショコラがいい」と言う声が耳に届く。

「……ガトーショコラが食べたいの?」

 頑なな声音に首を傾げれば、「違ぇよ。俺のこと考えながら作ってくれてたんだろ」と間髪入れずに返ってきた。単刀直入な彼に、「うん……」と答える虎杖の頬が熱を持つ。
 伏黒のことを想いながら作った。渡す前からその想いに気づかれていると思うと恥ずかしい。一方で、その想いがこめられたものが欲しいのだと告げる彼の気持ちが嬉しかった虎杖は、「それがいい」と念を押すように言われて、緩みそうになる口元に力をこめる。擽ったくて、照れくさくて、意味もなく身動ぎしたくなるほど落ち着かない気分になった。

「もうちょい……冷やしたら持ってく」

 一旦心を落ち着かせたいのもあり、そう伝えれば、「ああ」と満足そうな返事がある。柔らかな声に、ドキドキと心臓を高鳴らせる虎杖は、「明日の任務、午後からに変更になったって連絡があったから。……部屋で待ってる」と踵を返す伏黒の背を見つめた。そして、退室するためドアノブに伸ばされた彼の手元に何気なく視線を落とし、ふと彼のもう片方の手に小さな紙袋が提げられていることに気づく。
 黒いマットな表面には、金の箔押しで英字が書かれていた。筆記体のため、何と書かれているのかはわからない。
 ただ、それは明らかに──。

「っ!」

 ぱし、と紙袋を提げている伏黒の手首を掴んだ虎杖は、引き留められぎょっとこちらを振り向いた彼に眉根を寄せる。不安そうな面持ちの虎杖は、口を開いた。

「だ……誰に貰ったん……?」
「は……?」
「それ……チョコレートだろ」

 伏黒は、自分がこめた想いごと手作りのガトーショコラが欲しいのだと言ってくれたけれど。虎杖以外にも、誰かに想いを贈ろうとしている人は、世界中にいるわけで。
 贈られた想いを受け入れるかどうかは別にして、伏黒が誰かから想いを贈られた可能性は、大いにあった。紙袋を目にして、バレンタインのチョコレートだと思い至った瞬間、胸中に嫉妬が湧き上がり、その感情のまま詰るように言ってしまった虎杖は、ハッと口を噤む。拗ねたような自分の声に、みっともないと自己嫌悪した彼は、「っごめん」と掴んでいた彼の手を離した。
 想いを形にして贈ることについて逃げ腰だった自分に、勇気を出して伏黒に渡したのだろう誰かを詰る資格はない。「何でもない」と先程の問いを撤回しようとする彼は、しかし「……貰ったんじゃねぇよ」と言われて、「ぇ……」と伏黒を窺うように見た。
 溜息をついた伏黒が、一瞬だけきまり悪そうに眉根を寄せてから、「……オマエに」と小さく口を開く。

「オマエに贈る分」
「……俺に……?」

 目を瞠り、瞬かせれば、提げていた紙袋を掲げた伏黒が、受け取るよう虎杖を促した。ほら、と促されるまま受け取った虎杖は、中を覗く。
 オレンジの包装紙にラッピングされた小箱があった。リボンが巻かれた小箱は明らかに贈り物のそれで、予想外だった虎杖は、呆けた声で「伏黒……買いに行ったの?」と尋ねる。
 人混みが苦手な彼が、激戦区だろう店舗でチョコレートを選び、購入する場面が思い描けなかったのだ。

「手作りじゃなくて悪かったな」

 そう答える彼に、「いや買いにいく方がハードル高ぇだろ」と返す。ぎゅっと噛み締めるように、紙袋の持ち手を握る手に力をこめる虎杖は、収まりかけていた頬の熱がまたじんわりと再発する感覚に目を伏せた。
 ……嬉しい。伏黒が、自分のことを想って選び、贈ってくれたことが、堪らなく嬉しかった。

「……ありがとう」

 ドキドキと心臓が歓喜に跳ねる中、礼を言えば、伏黒の指が横髪に触れる。ちゅ、と軽く口付けられた虎杖は、「オマエのガトーショコラ、部屋で待ってるからな」と念押しする彼に、こくこくと頷いた。いつもより甘く感じるキスに、少しばかり動揺してしまう。
 熱を孕んだ伏黒の声に、彼の、部屋で、と意識してしまう虎杖は、「……準備してく」と、今度こそ退室しようとする彼に、小さな声で伝えるのだった。畳む

伏虎

  • ハッシュタグは見つかりませんでした。(または、まだ集計されていません。)

Powered by てがろぐ Ver 4.0.0.