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2025年3月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

*伏虎:Moment heureux
3/30伏せ恋の無配です。虎杖お誕生日のお話。

「伏黒、アンタも明日の夕方空いてるわよね?」

 三月十九日、任務を終え高専へと戻る車内で、さも当然のように釘崎に訊かれた彼は、「いや、任務が入ってる」とこちらも当たり前のような口調で答えた。軽い調子だった彼女に、はぁ!? と大げさに驚かれて、顔を顰める。「アンタともあろう男が、二十日が何の日が忘れたの!?」と責めるように言われて、「うるせぇな」と返した。
 三月二十日、その日が何の日か、釘崎が何をしようとしているのか、言われずともわかっている。
 虎杖悠仁が生まれた日。大切な人が生を受けた、特別な日だ。
 宿儺を祓った日以来、虎杖は休む間も惜しみ、崩壊した都市の復興に向け動いていた。羂索の手により受肉した游者について、呪物と被害者を引き剥がすという基本方針が決まったのは、年が明けた頃のことだ。引き剥がしには、虎杖か来栖の術式が必須となるため、必然的に二人が駆り出される回数は多くなる。伏黒や釘崎には「オマエら、寝起きなんだからあんまり無茶すんなよ」と言うくせに、自分は率先して任務へ向かうのだから、どうしようもない。
 渋谷の一件後、脹相と行動していた時期のように自身を顧みない戦いをしているわけではないが、自分を捧げるような精神は変わらなかった。
 自分の誕生日くらい、自分のために過ごしてほしい。そう思ったため、二十日前後の任務は虎杖に回さず、自分へ回すよう事前に補助監督へ調整していた伏黒は、二十日、游者の対応任務につく予定だったのだ。対象者の状況から、虎杖が適任とされていたところ、来栖と伏黒で対応する形となったため、付き合わせる形になった彼女には申し訳なかったが、快諾してくれた彼女は「おめでたい日ですからね」と微笑んでいた。
 そのため、二十日は任務が入っていたのだが、そのような経緯を釘崎に伝える必要はないと判断した彼は、「折角全員でパーティーできると思ってたのに」と残念そうな彼女に、「悪いな」と返す。

「私じゃなくて虎杖に謝りなさい。アイツも、アンタに祝われるの楽しみにしてるでしょうに」
「アイツは明日が自分の誕生日だなんて意識してねぇだろ」
「あー……それもそっか」

 自分のことに無頓着な虎杖は、明日が何の日かなんて気にしていないだろう。
 指摘する伏黒に、納得したように肩を竦める釘崎は、「ま、だからこそサプライズパーティーが映えんのよ」と得意げに腕を組む。

「真希さんたちとケーキ買い込んで、教室の飾りつけして、六時から立食パーティーよ。伏黒も、任務終わって時間があったら来なさい」
「任務の内容的にその時間じゃ間に合わねぇよ」

 淡白な反応の彼に、何よノリ悪いなと顔を顰めた。釘崎は、しかし「その代わり」と続けた伏黒に目を瞬かせる。

「八時には虎杖を部屋に帰せよ」

 二人並んで座っている後部座席にて、彼女と目を合わせて念を押すように告げた彼は、真剣な瞳をしていた。伏黒は、任務を終えてから個別に祝うつもりなのだと察した釘崎は、「うわ……すけべ……」と苦々しい顔をする。

「何でだよ」

 理不尽な罵倒にツッコむ伏黒は、呆れたように嘆息しながらアームレストに腕を置き、窓の外へ視線を逸らした。隣にいる釘崎が、「まあ」と一区切りつけるように口を開く。

「パーティーの不在はおいといて、三人で誕生日を当日に祝えるの、虎杖の誕生日が初めてなんだから……お互いサプライズ成功させましょうね」
「……俺は別にサプライズするなんて言ってねぇ」

 にっと悪戯めいた笑みを浮かべる彼女は、伏黒の言葉を無視して、「ケーキ何個買おっかな~」とスマートフォンで検索画面を開いていた。ホールケーキを複数個買うつもりなのか、それとも皆で分けやすいようピースケーキを数多く買うつもりなのか、どっちなのだろうかと思いながら流れゆく景色を眺める伏黒は、ふと見えた川辺に花びらが舞っていることに気づき、瞠目する。
 三寒四温を繰り返し、春の色が見え始めた時季、肌寒い冬からあたたかく人を包み込む春へ移り変わる空気が、虎杖の人柄に似ているように思えて、彼はほんの僅かに表情を緩めた。

 ◇◆◇

 三月二十日十八時。東京都立呪術高等専門学校敷地内校舎の一室に呼び出されていた虎杖は、一体何事だろうかと思いながら廊下を歩いていた。
 一昨日から連日休みをもらっており、昨日は映画を観に行っていたため、今日は寮でのんびりしていたところ、突然の呼び出しに困惑する。夕飯に付き合えという話であれば、集合場所が教室なのはおかしいし、かといって今から授業というのも変な話だ。
 一人首を傾げつつ、「釘崎ー、用件くらい言ってくれてもいんじゃね」と言いながら教室の扉を開けた彼は、次の瞬間。
 ぱんっとクラッカーの鳴る音があちこちで弾け、ぎょっと目を瞬かせた。同時に、「虎杖お誕生日おめでとう!」という多くの声が重なる。飛び出した紙テープが床に落ちていき、装飾に彩られた室内と集まっている皆の顔が見えた虎杖は、「……!」と呼び出しの意味に気づき息を呑んだ。

「誕生日おめでとう、虎杖。ようやく私の年齢に追いついたわね」
「釘崎……皆……」

 彼女だけでなく、二年三年の先輩や日車の姿まで見えた彼は、驚きを噛み締める一拍を置いてから、嬉しそうに笑う。「ありがとうな」という言葉に満足そうに口元に弧を描く釘崎が、「ほら、主役の帽子。アンタが好きそうなメニューを選んでるから、存分に……あ」と途中で言葉を途切れさせた。
 既に賑やかな室内で、声のトーンを少しばかり落とした彼女が、「虎杖、伏黒は」と彼の不在理由を告げようとする。虎杖に関係ある人々が揃う中、一番近い存在だろう彼がいないことにはわけがあるのだと、きちんと伝えなければならないと思っていた釘崎は、しかし「伏黒は任務だろ」と先回りされ、「は?」と目を瞬かせた。

「何よ、知ってたの?」
「本人から聞いた。一日がかりだって」
「そう……随分淡白なのね。伏黒に祝ってほしかったとかないの?」

 淡々と答える虎杖に、半眼になる。残念そうな気配が欠片もない彼に、欲のない男だなと思った釘崎は、「あー、伏黒からは、日付変わった瞬間にメッセージ貰ってるからさ」と言われて、ああと納得した。

「俺が寝ちゃってて、メッセージに気づいたのは朝だったんだけどね」

 そう苦笑する虎杖は、「悠仁、おめでとう」と真希たち二年生の皆に声をかけられ、「あざっす!」とそちらの会話に加わる。
 釘崎自身、オラ祝えやと相手の胸倉を掴むことはあれど、自分の誕生日だからとそわそわするタイプでもなかったが、本当に自身の誕生日であることを意識していなかったらしい虎杖に肩を竦めた。

(コイツ本当に自分に無頓着だな。ってか、伏黒二段構えかよ……)

 二十時には虎杖を帰すよう言っていた伏黒は、その時間以降個別に彼を祝うつもりなのだろうと思っていたが、既に誰よりも早く祝いの言葉は伝えているとは。
 虎杖の様子から察するに、彼は今晩伏黒から再度祝われるなど露ほども思っていないのだろう。ほら、サプライズじゃないの、と昨日否定していた伏黒に胸の内で言い返す彼女は、楽しそうに喋っている虎杖の背中を見つめる。
 自分が生きていて、彼が生きていて、笑う姿をまた見られる世界に口角を上げる釘崎は、会話に参加するため一歩彼らに近づくのだった。

 ◇◆◇

「はー、楽しかったな……」

 二十時を過ぎた時刻、満足そうに喜色を孕んだ独り言を呟きながら、寮の自室に帰ってきた虎杖は、ドアノブを捻る。
 自分のために皆が集まってくれて、生誕を喜ばしいことだと祝われる擽ったさと幸福感に、自然と表情が緩んだ。自分が生きていることで人が傷つくならば、命なんていらない。そう思った瞬間もある中で、皆が向けてくれる言葉が一層身に沁みる。
 個数を見誤り、ピースケーキが大量に余っていたため、二個ほど持ち帰っていた虎杖は、箱を提げたまま自室に上がり、電気をつけた。そして。

「おわーーーー!?」

 ベッドに腰掛けている人影が見えた彼は、思わず大音声で叫んだ。気が抜けていたのか、人の気配にも呪力の気配にも気づかなかった彼は、飛び出そうな心臓を飲み込み、「ッ伏黒、何で俺の部屋にいるんだよ!?」とバクバクしている胸に手を当てる。
 ビビったぁ、どうやって入ったんだよ人の部屋に、と続ける彼は、腰を上げ近づいてきた伏黒に「オマエが鍵かけ忘れてるからだろ」と言われて、「あ」と気まずそうな声を発した。遠出するときは気をつけているが、高専内をうろうろするくらいなら別に構わないだろうと鍵をかけずに部屋を出ることが多い虎杖は、不利な話題を逸らすためコホンと咳払いをする。

「伏黒、任務は?」
「終わった」
「怪我ない?」
「ない」
「よかった」

 短いやり取りを交わして、安堵したように笑えば、「パーティーは楽しかったか?」と訊かれた。うんと頷く虎杖は、「任務終わったなら、オマエも来ればよかったのに」と返す。そうだな、と相槌があって、「ケーキ、余ったの貰ったから一緒に食う?」と提案すれば、「虎杖」と改まった語調で名を呼ばれた。

「誕生日おめでとう」

 告げられた祝いの言葉に、瞠目する。
 メッセージでも、同じ言葉を貰っていた。メッセージの始まりが、「起きてるか?」という確認だったため、寝落ちており返信がなかった虎杖の部屋へ直接行くことなく、文章だけで終わらせたのだろうと思っていた。任務だからメッセージだけになって悪い、という言葉が添えられていたから、今日、面と向かって祝われることはないと思っていた。だから、だろうか。
 じわ、と伏黒にかけられた言葉が胸の奥に沁み込み、目頭が熱くなる。皆に祝われたときは、ただ嬉しくて、泣きそうになることなんてなかったのに、伏黒の一言だけで、息が詰まった。
 死なせたくない、死んだら殺すと、ずっと生きる道を指差してくれていて、手を離さないでくれていた。伏黒がいないと寂しいと訴えたら、隣に還ってきてくれた。大好きで、大事で、離れたくない人に、生まれてきたことを祝われることが、こんなにも──幸せだなんて、思ってもみなかった虎杖は、震える息を吸い込んで、「……ありがとう」と返す。

「オマエと出会ってから、まだ一年も経ってないと思うと、不思議だな」
「……たしかに」
「オマエが生まれて、生きて、傍にいてくれることに感謝してる」
「……ん……」

 喋ると、涙色が滲んでしまいそうで、まともな返事ができない虎杖は、こくこくと頷くことで、伏黒の想いを受け止めていた。
 ぎゅっと抱き締められて、伏黒の体温に包まれる幸福感に瞼を下ろす。温もりを噛み締めていた彼は、ふと金属が擦れるような小さな音が聞こえて、そっと目を開けた。同時に、離れた伏黒の指が首元に伸び、いつの間にかつけられていたリングネックレスに口付ける彼を見た虎杖は、「……ぇ」とか細い声を出す。
 細い銀のチェーンに、同じく銀のリングが通されていた。イニシャルが彫られたシンプルなリングに視線を落とした虎杖は、「これ……」と伏黒に目を戻す。

「……実用的なものじゃなくて悪いが」

 そう前置きする彼は、「普段から身につけられる、お守りみたいなものを渡したかった。……あと、お揃いにできるものが」と遠慮がちな声音で続けた。制服の下に隠していたらしいチェーンを引っ張り出した伏黒の首には、同じくリングネックレスがつけられている。
 お揃いの、お守り。
 載せられた想いが嬉しくて、耐えられなかった虎杖の瞳から、ぽろ、と一粒の涙がこぼれ落ちた。

「っ……」
「! 虎杖、嫌なら」
「っちがう」

 涙をこぼす彼に、動揺したように早口になる伏黒を遮る虎杖は、ごしごしと袖で目元を拭いながら、首を横に振る。

「嬉しくて。……なんか、わかんねぇけど、っ、う、もう、ッ伏黒のせいで涙腺馬鹿になっちまったじゃんんん」

 声が震えて、嗚咽が混じりそうになった。大好きな人に想われる歓びに、胸がいっぱいになる。愛情を傾けられる幸福感に目眩がした。
 自分が生まれた日。幼い頃は、ケーキを食べられることが嬉しくて、生み育ててくれた両親や祖父に感謝して、友人に祝われる喜びをただ享受していただけだったけれど、戦いに身を投じる中で、自分の存在を顧みることが多くなった今、この世界に生まれ落ちたことへの様々な想いが胸中を駆け巡る。
 その中で、ひたすら純粋に想ってくれる伏黒の存在が、嬉しかった。

「っ、ありがとう、伏黒」
「……ああ。俺の方こそありがとう」

 ぎゅっと、再度抱き締められて、虎杖は彼の背中に腕を回し、抱き締め返す。伏黒の肩口に顔を埋めて、涙の滲む目を閉じた。
 ケーキ箱だけは、落とさないようにして。
 大切な人たちに祝われて、大事な人に愛される歓びを噛み締める虎杖は、自身の生に感謝する。
 釘崎が帰り際に渡してくれた二個のケーキは、きっと伏黒と二人で食べる用のケーキだったのだろう、ということまで思い至って。
 大好きな人たちとともに歩んでいける時間を幸せなものだと思う彼は、「虎杖」と名前を呼ぶ声に、「うん」と応えるのだった。畳む

伏虎

*伏虎:ホワイトデーのお話。

 ホワイトデー。バレンタインのお返しをする日、というのが世間一般の認識だろう。
 虎杖悠仁は、その日もまた、二月十四日バレンタインデーのときと同様に悩んでいた。

(バレンタインのお返し……でチョコ贈るのは、やり過ぎかな……)

 バレンタインの日、伏黒からチョコレートを貰ったのは事実だ。しかし、その日、自分も彼に手作りのガトーショコラを贈った。
 奇しくも交換という形になったため、またホワイトデーにチョコレートを贈るのは、鬱陶しいだろうか、と考えてしまう。

(でも、今回は小さいチョコだし、これくらいなら)

 自室にて、一口サイズのチョコレートが数個入った小箱を見つめる彼は、うーんと腕を組んだ。
 二月十四日のお返し、というよりも、あの日互いに贈ったものをきっかけに甘い時間を過ごせたことが嬉しくて、幸せで、ワンチャンホワイトデーも同じような時間を過ごす口実になれば、という下心の方が大きいため、後ろめたさがある。

(チョコレート、一緒に食べん? って誘うくらいなら)

 違和感ないだろうか。
 そう思う虎杖は、小箱を店で貰った紙袋に入れ、部屋を出るため踵を返した。そのとき、部屋の扉がノックされて、「はーい」と返事をする。
 鍵をかけていない扉が開かれて、顔を覗かせたのは伏黒だった。丁度いい、と思う虎杖は、「伏黒、どしたん?」と言いつつ彼に近づく。
 そして。

「虎杖、今時間あるか?」

 彼が部屋に入ってきた瞬間、ふわりと香ったのは、チョコレートの匂いだった。
 窺うような、期待するような色合いをした伏黒の瞳を見て、あ、と虎杖は微かに瞠目する。
 チョコレートの香りを纏った彼、店で買ってきた紙袋を手にした自分。
 ──もしかして。
 期待にごくんと喉を鳴らしてしまった虎杖は、「うん」と僅かに緊張した面持ちで頷いた。
 もしかして、ワンチャンを狙ったのは自分だけではないのかもしれなくて。もしかして、バレンタインデーのときと立場が逆になっているのかもしれなくて。
 期待が溢れた虎杖が、堪らない想いに唇を引き結び、伏黒に抱きつく。

「っ!」
「時間、ある。たくさんある」

 彼の肩に顔を埋め、伏黒の匂いとチョコレートの香りが混ざりあった甘い香を吸い込みながら言えば、抱きとめた伏黒の手が虎杖の手に触れた。
 紙袋の持ち手を握っていることに気づいたのだろう。一拍遅れて、「よかった」と答える伏黒が、彼の後頭部に触れた。くしゃくしゃと撫でられた虎杖が顔を上げれば、ちゅ、と柔らかな唇が重なる。

「……ふしぐろ」
「今日も準備してんのか?」
「うん」

 心配も不安も必要なかった。期待を膨らませていて良かったのだ。
 だって。──もう、甘い時間は始まっていた。畳む

伏虎

2025年2月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

*伏虎:バレンタインのお話。

 二月十四日、午後六時過ぎ、──虎杖悠仁は、我に返ってしまった。

「……どうしよ……」

 世はバレンタインデーという行事に盛り上がる日。大勢の感情がひしめく中、そこには呪いの元となる負の感情もあるわけで。呪術師として多忙になるため勘弁願いたい時節ではあるが、それはそれとして行事ごとを楽しみたい気持ちもある。
 伏黒は元より興味なさそうで、釘崎は誰かに贈るというより自分が食べたいチョコレートを吟味するのに忙しそうで、各々がその日にかける思いは違っていた。そんな中、虎杖は、恋人である伏黒に手作りのお菓子を渡そう、と思っていたのだ。
 本人は興味なさそうだったが、渡せば喜んでくれるだろうと思った。彼に寄せる想いを形にして贈ることができる行事に乗っかろうと思った虎杖は、当日、任務を終えた後、自室でガトーショコラを作っていたのだ。お菓子を作る機会は今までそうなかったため、レシピを片手に、きちんと量を計り、手順通りに型に入れ冷やす。甘すぎると伏黒の口に合わないだろうと思い、甘さのバランスは調整済だ。ある程度固まったところで味見をして、美味しくできた、と一人頷いていたのだが、そのとき、我に返ってしまったのだ。
 恋人だと言っても、自分が手作りのお菓子を贈るなんて、重い、のではないか、と。

「……うぅーん……」

 作ったはいいが、伏黒へ贈ることに躊躇が生まれた虎杖は、キッチンで完成したガトーショコラを前に唸る。わざわざ手作りしたものを贈ってくるなんて面倒くさい、と思われるのは、嫌だった。

(別に、手作りを嫌がられることはない、と思うけど……)

 普段から虎杖が作った料理を食べることもある彼が、手作りを嫌悪することはないだろう。しかし、行事に乗っかるとなると、単なる料理に「バレンタイン」の意味が含まれるようになる。載せられる甘ったるい想いをどう捉えるかは、人それぞれだ。
 伏黒がどう捉えるのかは、想像しかできないけれど──。
 虎杖の心に、弱気が顔を覗かせる。面倒くさがられたくないな、という保身が先立って、無難な選択をしてしまいそうになった。

(……自分で食うか)

 数分悩んだ後、結局作ったお菓子は自分のおやつにして、伏黒には買ったチョコレートをあげようと思う虎杖は、ちらりと時計を見やる。午後六時を過ぎた時刻、今から都内の店に行くには時間が微妙だが、近くのコンビニで売っているチョコレート菓子を買うことはできるだろう。
 日常的によく見かけるお菓子を軽いノリで渡して、少しだけバレンタインの気分を味わいながら、いつもと変わらないやり取りを交わす。それがいい、と安易な選択をした虎杖は、「チョコレート売ってたらいいなぁ」と独り言を呟いた。
 味見分を切り分けるため取り出していたガトーショコラを保存容器に移していると、誰かが扉をノックする音が聞こえる。惰性的に「はーい」と答えた虎杖は、開かれた扉の向こうから聞き慣れた声で名を呼ばれて、ぎょっとした。

「虎杖、明日の任務」
「わーーーーっ!」

 間一髪、ガトーショコラを見られそうになった動揺で伏黒の声を掻き消すように叫んだ虎杖は、ばたんと音を立てて冷蔵庫を閉める。跳ねた心臓を落ち着かせるため、冷蔵庫を背に隠すように立つ彼は、「ど、どしたん伏黒、明日の任務?」と上擦った声で話の続きを促した。
 先程まで、手作りの代わりに何を贈ろうかと伏黒のことを考えていたため、狼狽えてしまう。取り繕おうとするが、そのとき、虎杖の挙動不審な所作に眉根を寄せた伏黒が、すん、と小さく鼻を鳴らした。
 数時間前にチョコレートを使ったお菓子作りを行い、完成したガトーショコラを先程まで出していたため、狭いキッチンには、チョコレートの残り香が漂っている。
 二月十四日に、キッチンでチョコレートの匂いを漂わせている理由を察せないほど、伏黒は疎くはなかった。

「……誰に渡すんだ?」
「へ?」

 突如変わった話題についていけない虎杖が呆けた声を上げれば、一歩距離を詰めてきた伏黒が「チョコレートの匂いがする」と彼の首筋に鼻を近づける。黒髪が頬を擽る感触に、思わず赤面する虎杖は、「ちょっ……こって……」と引っくり返った声をあげた。動揺がそのまま声に出てしまったため、気まずい思いで手の甲を口元に当てる。意識すれば、確かにチョコレートの香りが鼻についた。
 じっと至近距離で問い質すような眼差しを向けられて、言い逃れできない状況に目を伏せる。ただの市販のお菓子であれば、ここまで濃厚な香りはしないだろう。チョコレートを溶かして、材料を混ぜ合わせ、自身の手でお菓子作りをしていた故の残り香。
 まだキッチンの作業台にはお菓子作りで使ったボウルやヘラが残っていたし、部屋に入られた時点で負けだったと思う虎杖は、「……ガトーショコラ、作ってた」と答えた。

「誰に渡すんだ?」

 知りたいのはそこではない、と言うように質問を繰り返され、口を噤む。伏黒に、と答えれば、想いを込めた手作りのお菓子を渡そうとしていたことがバレてしまう。煩わしいと思われたくなかった虎杖は、「じ、自分で食おうかなって」と視線を彷徨わせながら答えた。
 真っ直ぐにこちらを見つめてくる彼の眼差しに、言葉が続かない。

「…………」
「…………」

 本当か、と問うような目に無言の圧力をかけられて、虎杖は視線を逸らす。
 伏黒に見つめられると、自分の考えや感情がすべてバレる気がした。見透かされるとか、暴かれるとかとは少し違う。全部筒抜けな気がするのだ。
 ……何で、こんなに伝わってしまうんだろう。
 伏黒のことが大好きで堪らないという想いも、随分前から悟られていた。自分はそんなにもわかりやすいのか、と思うこともあったが、おそらくそれは主たる理由ではないのだろうと思う。伏黒が、──彼が自分のことをよく見て理解してくれてるから、きっと。
 伸びてきた伏黒の指先が、すり、と虎杖の輪郭を撫でた。促すように、すりすりと指の背で頬を撫でられ、堪らない気持ちになる。
 そして。

「自分用でラッピングはしねぇだろ」
「あーーーーそれなーーーー」

 指摘され、キッチン台に出しっぱなしだったラッピング用袋の存在を思い出した虎杖は、呻きながら額に手を当てた。
 真っ当な指摘に、ぐうの音も出ない。自分の感情も丸わかりだったのだろうが、状況証拠が多すぎだ。なんも反論できん、と思い観念した虎杖は、「……伏黒に、あげようと思ってた」と白状する。

「けど、手作りは重いかなと思って……別で買って渡そうと思ったとこだったんだよ」

 恥ずかしさを誤魔化すため、がしがしと頭を掻きながら答えれば、小さく嘆息する音が聞こえた。そして、呟くように「オマエが作ったガトーショコラがいい」と言う声が耳に届く。

「……ガトーショコラが食べたいの?」

 頑なな声音に首を傾げれば、「違ぇよ。俺のこと考えながら作ってくれてたんだろ」と間髪入れずに返ってきた。単刀直入な彼に、「うん……」と答える虎杖の頬が熱を持つ。
 伏黒のことを想いながら作った。渡す前からその想いに気づかれていると思うと恥ずかしい。一方で、その想いがこめられたものが欲しいのだと告げる彼の気持ちが嬉しかった虎杖は、「それがいい」と念を押すように言われて、緩みそうになる口元に力をこめる。擽ったくて、照れくさくて、意味もなく身動ぎしたくなるほど落ち着かない気分になった。

「もうちょい……冷やしたら持ってく」

 一旦心を落ち着かせたいのもあり、そう伝えれば、「ああ」と満足そうな返事がある。柔らかな声に、ドキドキと心臓を高鳴らせる虎杖は、「明日の任務、午後からに変更になったって連絡があったから。……部屋で待ってる」と踵を返す伏黒の背を見つめた。そして、退室するためドアノブに伸ばされた彼の手元に何気なく視線を落とし、ふと彼のもう片方の手に小さな紙袋が提げられていることに気づく。
 黒いマットな表面には、金の箔押しで英字が書かれていた。筆記体のため、何と書かれているのかはわからない。
 ただ、それは明らかに──。

「っ!」

 ぱし、と紙袋を提げている伏黒の手首を掴んだ虎杖は、引き留められぎょっとこちらを振り向いた彼に眉根を寄せる。不安そうな面持ちの虎杖は、口を開いた。

「だ……誰に貰ったん……?」
「は……?」
「それ……チョコレートだろ」

 伏黒は、自分がこめた想いごと手作りのガトーショコラが欲しいのだと言ってくれたけれど。虎杖以外にも、誰かに想いを贈ろうとしている人は、世界中にいるわけで。
 贈られた想いを受け入れるかどうかは別にして、伏黒が誰かから想いを贈られた可能性は、大いにあった。紙袋を目にして、バレンタインのチョコレートだと思い至った瞬間、胸中に嫉妬が湧き上がり、その感情のまま詰るように言ってしまった虎杖は、ハッと口を噤む。拗ねたような自分の声に、みっともないと自己嫌悪した彼は、「っごめん」と掴んでいた彼の手を離した。
 想いを形にして贈ることについて逃げ腰だった自分に、勇気を出して伏黒に渡したのだろう誰かを詰る資格はない。「何でもない」と先程の問いを撤回しようとする彼は、しかし「……貰ったんじゃねぇよ」と言われて、「ぇ……」と伏黒を窺うように見た。
 溜息をついた伏黒が、一瞬だけきまり悪そうに眉根を寄せてから、「……オマエに」と小さく口を開く。

「オマエに贈る分」
「……俺に……?」

 目を瞠り、瞬かせれば、提げていた紙袋を掲げた伏黒が、受け取るよう虎杖を促した。ほら、と促されるまま受け取った虎杖は、中を覗く。
 オレンジの包装紙にラッピングされた小箱があった。リボンが巻かれた小箱は明らかに贈り物のそれで、予想外だった虎杖は、呆けた声で「伏黒……買いに行ったの?」と尋ねる。
 人混みが苦手な彼が、激戦区だろう店舗でチョコレートを選び、購入する場面が思い描けなかったのだ。

「手作りじゃなくて悪かったな」

 そう答える彼に、「いや買いにいく方がハードル高ぇだろ」と返す。ぎゅっと噛み締めるように、紙袋の持ち手を握る手に力をこめる虎杖は、収まりかけていた頬の熱がまたじんわりと再発する感覚に目を伏せた。
 ……嬉しい。伏黒が、自分のことを想って選び、贈ってくれたことが、堪らなく嬉しかった。

「……ありがとう」

 ドキドキと心臓が歓喜に跳ねる中、礼を言えば、伏黒の指が横髪に触れる。ちゅ、と軽く口付けられた虎杖は、「オマエのガトーショコラ、部屋で待ってるからな」と念押しする彼に、こくこくと頷いた。いつもより甘く感じるキスに、少しばかり動揺してしまう。
 熱を孕んだ伏黒の声に、彼の、部屋で、と意識してしまう虎杖は、「……準備してく」と、今度こそ退室しようとする彼に、小さな声で伝えるのだった。畳む

伏虎

2025年1月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

*いおりく:一織の誕生日に陸から贈られたもの(ホームボイスネタバレを含みます)

 ステージの上で、皆に星を降らせる彼が好きだった。世界中の人の視線を浴び、笑って歌うあなたが好きだった。
 誇らしくなる。愛しく思う。自分にとって、大切な存在だと噛み締める。
 ──誰よりもステージ上で輝く七瀬陸のことが、好きだった。
 一方で。

「今日は一織のためだけに歌います!」

 一月二十五日。誕生日に、名指しで限定する言葉を贈られて、目を見開く。
 皆の特別であろう彼に、特別を贈られて、綻びそうになる口元を隠した。
 誰のものにもならないアイドルの七瀬陸を愛しく思うと同時に、“私だけ”の七瀬陸を感じると、優越感と仄かな独占欲が生まれる。甘く、熱くて、鼓動が逸るような感覚が身を焼いた。
 一番の、贈り物。

「……近所迷惑にならない範囲でお願いします」

 そう唇を動かすことで、緩む表情を誤魔化す一織は、「うん」と笑う陸が息を吸う音に耳を傾ける。
 自分だけへ贈られるメロディに微笑む彼は、贅沢な時間に浸るように、歌声を紡ぐ陸を見つめるのだった。畳む

いおりく

*伏虎:決戦後に伏黒の誕生日を祝うお話。

 きっかけは、雑誌で見かけた星座占いの結果を確認してみたかったから、という、随分とくだらないものだった気がする。

「なあ、伏黒って誕生日いつ?」

 軽い気持ちで尋ねれば、「十二月二十二日」と簡潔な答えが返ってきた。クリスマス間近な日付を聞いて、寒い季節に生まれた彼を、彼らしいと感じる。それは虎杖の勝手な感覚だったが、「伏黒冬生まれっぽいもんな」と納得した声をあげれば、「オマエは?」と聞き返された。

「俺? 三月二十日」
「春生まれっぽいな」

 同じ言葉を返されて、笑う。「そう?」と理由を聞いてみたい気持ちを滲ませれば、「……ああ」と一拍間があった後伏黒が頷いた。
 何かちゃんとした理由がありそうで、しかしそれを言わない選択をしたらしい彼にもたれかかれば、「重てぇ」と顔を顰められる。文句を言いながらも、退けとは言わない彼が好きだった。
 伏黒の部屋で、ベッドの上に並んで座り、他愛のないやり取りをする時間。占い結果を見ようと雑誌を捲る虎杖は、穏やかな空間に口元を綻ばせた。

◇◆◇

 ──どうしてこうなったのだろう。どうして? 俺のせいだ。
 俺が。俺のせいで。
 伏黒を助けなきゃ。伏黒を取り戻さなきゃ。
 伏黒が傍にいてくれないと、俺は。

◇◆◇

「悠仁、アラーム鳴ってるよ」

 軽い調子で声をかけられた虎杖は、ハッと我に返ったように目を見開いた。宿儺との戦いを見据えた鍛錬を続ける中、休憩のため道場の隅で瞑目していた彼は、けたたましいアラーム音に気づき、ビクリと身を竦ませる。今更のように反応した虎杖を見て笑う五条が、「何か予定?」と尋ねた。
 ポケットに入れていたスマートフォンを取り出し、鳴り続ける音楽を止めた彼は、「……いや、予定じゃないよ」と答える。
 十二月二十一日、午後六時。アラームの見出しは、「明日伏黒の誕生日!」となっていた。
 人の誕生日などは、わりと覚えている方で、伏黒の誕生日も覚えていたが、万が一にも忘れたくなくて、誕生日を聞いたその日に登録したアラーム。
 彼の誕生日を覚えていた。どうやって祝おうか、プレゼントは何にしようかと考えて、本当ならば、きっと今頃誕生日パーティーの準備に勤しんでいたに違いない。──本当ならば。
 虎杖がアラームを消した際、画面に標題が見えた五条が、上げていた口角を下げる。

「明日は、恵の誕生日か」

 淡々と独り言のように呟く彼に、虎杖は相槌を打つことができなかった。
 明日、祝いたい相手は、ここにはいない。宿儺に乗っ取られている身体は、きっと日々の時間を重ねて誕生日を迎えるのだろうが、沈められている伏黒の魂は、どうなっているのだろう。いや、伏黒の身体だって。宿儺に奪われ、異形を身に宿し、それはきっと……今の伏黒の身体はきっと、純粋な彼自身ではない。
 誕生日おめでとう、生まれてきてくれてありがとうと伝えたいのに、できないことが悔しかった。

「……伏黒を助けなきゃ」

 生きて、生誕を祝えるように、彼を宿儺から救わなければ。誓うように言う虎杖に、目を瞬かせた五条が、ふっと口元に弧を描く。

「そうだね。それで、恵が帰ってきたらお祝いしよう」
「……?」
「生まれてきてくれてありがとう、生きててくれてありがとうって、伝えればいい」

 きょとんと首を傾げる虎杖の頭に手を載せ、元気づけるようにわしゃわしゃと撫でる彼は、「生誕を祝うのは、別に誕生日じゃなきゃいけないなんて決まりはないんだから」と続けた。

「いつだって祝っていい。いつ伝えてもいいんだ。だから、悠仁、恵が帰ってきたときにちゃんと伝えられるよう準備しときな」
「あ……」

 優しい言葉に、瞠目する。にっと虎杖を元気づけるように笑う五条につられるように、「うん」と表情を和らげる彼は、「五条先生、稽古の続き、おなしゃす!」と立ち上がるのだった。

◇◆◇

 ──一月某日。
 扉の前で、小さなホールケーキを持って立つ虎杖は、深呼吸して逸る鼓動を抑えようとしていた。中途半端な時期だけれど、脳内に響く「いつだって祝っていい」という五条の言葉を信じて、拳を掲げる。コンコンコン、と三度ノックをすれば、数秒後静かに扉が開かれた。

「虎杖? どうし──」

 彼の手にあるケーキを見た伏黒が、目を瞠る。へへ、と苦笑した虎杖は、「遅れちゃったけど、誕生日……おめでとうって伝えたくて」と遠慮がちにホールケーキを掲げた。
 一度口を噤み、「……入れ」と虎杖を促す伏黒は、暖房のきいた室内に彼を招き入れる。
 新宿での死闘を終え、宿儺を倒して、まだ事後処理、復興の途中だが、ある程度高専内には落ち着いた空気が漂っている日のことだった。伏黒が帰ってくることを信じて、時折掃除していただけで、家具も私物もすべてそのままにしておいた部屋。ローテーブルの上にとりあえずケーキを置いた虎杖は、無策で来たことを早々に後悔しつつ、「えーと」と言葉に迷う。
 誕生を祝いたくて、気持ちのままに二人分のホールケーキを作って突撃してしまったが、伏黒も困惑しているだろう。そう思いつつ彼を窺えば、冷蔵庫から飲み物を取り出している伏黒が、「一緒に食って帰るだろ」とこちらを振り向いた。
 目を瞬かせる。「……うん」と頷く虎杖は、「手伝う」とキッチンへと向かった。食器を取り出し、飲み物を注いで、テーブルに戻った彼らは向かい合って腰を下ろす。

「それで?」

 まるで、準備していた間、猶予はやっただろ、と言わんばかりに不審な目を向けられた虎杖は、「遅くなりましたが誕生日おめでとうございました」と頭を下げた。
 潔いまでの言葉に肩を竦めた伏黒が、「今日が誕生日じゃねぇ認識はあるんだな」と呟く。

「流石にあるよ……伏黒の誕生日、……オマエいなかっただろ。祝いたくても、そんな状況じゃなくて……」
「だからって、別にわざわざ後から祝うもんでもないだろ」
「……五条先生が」

 通常やらないことだと自覚していたため、煮え切らない調子で言葉を連ねていた虎杖が五条の名を出せば、ピクリと身動ぎした伏黒が口を噤んだ。目を伏せた虎杖は、「生誕を祝うのは、誕生日じゃなきゃいけないって決まってるわけじゃない、って」と続ける。
 何となく正座していた彼は、ぎゅっと膝の上で拳を握り締めた。顔を上げて、目の前にいる伏黒を見つめる。宿儺の抵抗もあったのか、無理やり引き剥がす形になったことは否めなかったからか、はたまた別の要因か。正確な原因はわからなかったが、彼の顔には両面宿儺の存在を彷彿とさせる傷痕が残っていた。その痕を見る度に、戦いのことを思い出す一方で、伏黒は生きて傍に帰ってきてくれたのだと実感し、彼の存在を噛み締める。

「伏黒が生まれてきてくれて嬉しい。生きててくれてありがとうな。……生きてここにいてくれて、ありがとう」

 ずっと、伝えたかった。出会って、互いを助けるために無茶をし合って、そのとき指を食べたことが良かったのか悪かったのかなんて、今更議論すべきことではない。ただ、出会って、ともに過ごすようになってから、ずっと思っていた。
 出会ってくれてありがとう。伏黒と一緒に生きていけて嬉しい。伏黒が傍にいてくれたから、ずっと寂しくなかったんだ。オマエが、何度も手を伸ばしてくれたから。
 全てを伝えるのは気恥ずかしくて、「本当は、釘崎や先輩たちも呼んで祝おうと思ったんだけど」と話題を逸らす虎杖は、「あんまり大事にしてもあれかなって」と苦笑する。しかしそう口にした直後、「……いや、本当は、俺が祝いたかったから……だな」と本音をこぼした。
 誰よりも、自分が彼の生を祝い、感謝したかったのだ。
 吐露するように一人で喋っていた虎杖は、おずおずと伏黒を窺う。迷惑そうな顔をされても仕方ないと思っていたのだが、黙って虎杖の言葉に耳を傾けていた彼は、微苦笑するように優しく呆れた顔をしていた。

「何言ってんだ。感謝するなら俺の方だろ」
「え……」
「オマエのおかげで生きてるんだから」

 穏やかに言われた虎杖が、「魂引き剥がそうと宿儺殴ってたこと? 俺だけの力じゃないよ」と首を傾げれば、「そうじゃねぇよ」と否定が返ってくる。
 物理的な話ではないのだ、と首を振る伏黒は、今生きて彼の祝いの言葉を素直に受け止められるのは、虎杖のおかげだ、と胸中で繰り返した。
 ──寂しいよ、という私情に塗れた素直な言葉を聞いて、寂しい思いをさせたくないと思った。虎杖が、いてほしいと言うのなら、彼のために傍にいたいと思った。もう生きる意味などない、自分に生きる資格はないと思っていたが、虎杖を笑顔にさせられるなら、そのために彼の隣にいたいと思ったのだ。
 虎杖が当時のやり取りについて覚えているのか否か不明なため、胸の内だけで想いを呟く伏黒は、深く掘り下げることなくテーブルの中心にあるケーキに視線を向ける。

「手作りか」
「うん」

 頷く虎杖は、「滅多に作らねぇから、不格好だけど……あ、一応甘さ控えめにしてっから、食べやすいと思うよ」と照れくさそうに頬を掻いていた。いてもたってもいられなくて、と続ける彼は、「食べる?」と用意していたナイフを手に取る。
 不格好だと言っているが、素人にしては綺麗に塗られた真っ白い生クリームを見つめる伏黒は、昔津美紀が誕生日に手作りしてくれたケーキを思い出した。
 クリスマスとは別なのだと言って、連日ケーキを食すのは、伏黒家での恒例行事になっていて。五条と出会ってからは、誕生日かクリスマスのどちらかはやけに豪華なホールケーキになった。三人では食べきれないのではないかと思っていたら、いつの間にか大半を五条が平らげている。それは、確かに幸せな時間だった。
 当時を思い出し、ふっと笑う伏黒は、「ありがとうな、虎杖」と礼を言う。柔らかで素直な声音に目を瞬かせた虎杖は、「おう」と照れたように笑った。
 んじゃあ、とりあえず半分に切って……とナイフを入れるため身を乗り出す彼の頬に触れる。

「……へ?」

 そのまま、自身も身を乗り出して、虎杖に口付けた伏黒は、かぁぁっと顔を赤くした彼に小さく笑った。
 虎杖の幸せそうな笑顔が見られるだけで、生きていてよかった、と思う。犯した全てを忘れるわけではないけれど、生まれてきてよかったと、そう思うのだ。そう思わせてくれた彼のことが愛しくて、大事だった。その想いを口付けに載せる伏黒は、唐突なキスにドギマギしているらしい虎杖に笑む。
 一方、顔を赤らめている虎杖は、動揺しつつも、嬉しそうな伏黒を見て内心安堵していた。彼の絶望は理解していたけれど、寂しいと自身の感情を訴えてしまっていた虎杖は、伏黒が宿儺を拒絶した際出した答えを知らない。しかし、彼が生きてここにいることが、答えな気がした。少しばかり時期を外れた誕生日ケーキを見て、ほんのりと笑ってくれていることが、何よりの答えな気がした。

「切るから、ちょっかい出してくんのナシな」
「ああ」

 またキスされたら、堪らない気持ちになってナイフを落としてしまうかもしれない。そのため、念押しする虎杖は、返事をしながら隣に移動してきた伏黒をちらちらと目で追う。彼に気を取られていたため、少し歪な形で二等分されたケーキを取り分けた虎杖は、改めて傍に来た伏黒を見た。
 祝われる立場を受け入れたらしい彼に、こてんともたれかかられて、心臓が跳ねる。「プレゼントはねぇのか?」と訊かれた虎杖は、「……ぇ」と一瞬硬直した。
 誕生日プレゼント。祝いたい気持ちだけが先走り、失念していた彼は、まさか伏黒から強請られると思っていなかったため、「ぇえー……と」と曖昧な声を発する。とにかく気持ちを伝えたくて、その気持ちを発散するのも兼ねてケーキを作っていたため、「……ケーキがプレゼントです」と繕うが、半眼を向けられて気まずい虎杖は彼から目を逸らした。
 プレゼント、何か考えていたらよかった、と今更のように思う。うーんうーんと唸っていると、フォークを手にし、ケーキを一欠片口にした伏黒が、「美味い」と感想を述べていた。自由な彼に、「……あの、伏黒さん?」と翻弄されている気分になる虎杖は、彼の本意がどこにあるのか探るように伏黒の顔を覗き込む。
 その瞬間、ちゅ、と口付けてきた彼の唇は、仄かに甘かった。

「プレゼント、このケーキとオマエを貰ったのでもいいか?」
「ケーキはいいとして、俺? 俺貰ってどうする……の……」

 どうしようもなくないか、と言いたかったのに、じっと見つめられた虎杖の語尾が萎む。ハッと、伏黒の強請りが暗喩的なものかもしれないと思った彼は、オマエの身体が欲しいという意味かとたじろいだ。収まりかけていた顔の火照りが再び発生する中、「っ、俺、今日何も準備してない」と言いかけるが、ぎゅっと抱き締められた虎杖は、目を見開く。
 背中と後頭部に手を添えられ、掻き抱くように抱き締められて、「……ふしぐろ」と名前を呼ぶ彼は、あたたかな身体を抱き締め返した。

「誕生日おめでとう」
「……ありがとう」

 くぐもった声が聞こえて、笑う。
 胸の奥にじんわりと広がる幸福感を確かめるようにキスをする彼は、「ケーキ食べよ」と伏黒を促した。
 次はちゃんと、当日に祝うから。
 そう言えば、「その前にオマエの誕生日だろ」と返される。三月二十日、と続ける伏黒が、誕生日を覚えてくれていたと知った虎杖は、「……うん」と何気ないやり取りを噛み締めるように、顔を綻ばせるのだった。畳む

伏虎

2024年12月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

*いおりく:スケジュール帳に書かれたマークの意味は。

 年の始めに、「一織! 見て見て、スケジュール帳買った!」と嬉しそうに手帳を見せてきた陸に対し、「ちゃんと最後まで使えるんですか?」と半眼を向けたことを覚えている。
 十二月下旬、特番やら何やら忙しい合間を縫って、年末までに終えられるよう少しずつ掃除を進めていた一織は、リビングのテーブルに置き忘れられている手帳を手に取った。
 陸が、デザインが気に入ったと購入していたスケジュール帳。ここ最近、仕事の予定はマネージャーと連携が取れるようスマートフォンのアプリケーションを利用しているため、紙媒体のスケジュール帳は必須ではなくなっている。一織などは、紙の手帳が馴染むため、未だに自身の予定はスケジュール帳に書き込み管理していたが、同じように手帳を購入した陸に対し、ちゃんと使えるのだろうかと心配になった記憶があった。「ちゃんと使うよ!」と主張していたが、三日坊主になるのではと思いつつ、一年。
 よく使い込まれているわけではないが、新品同様とも言い難い、軽く使われている形跡のある手帳を手にした一織は、何気なく適当なページを開く。陸の手帳を見ることに然程躊躇いがなかったのは、彼との普段の距離感が近いため、つい、という要素が強かった。
 月間の予定表に、仕事の予定が記入されている様子はない。プライベートの予定も入っていなかった。ただ、ハートマークが書き込まれている。数日おきに書かれていたハートが、次第に毎日記入されるようになっており、途中からただのハートだけでなく、大小二つのハートが書かれるようになっていた。

(……何のマークだ……?)

 書き込まれている理由として、予定がある日にマークが付けられている、というのが真っ先に浮かぶが、一織が思いつくどの予定とも合わない。
 掃除の手を止めて、一人首を傾げていると、扉を開けリビングに入ってきた陸が、「ああ!」と声をあげた。大きな声にびくりと身を竦ませるが、「い、一織! 何勝手に見てるの!?」と手帳を奪われて、勝手に見てしまった罪悪感が生まれる。

「あ……すみません、つい」
「つい!?」

 手帳を見られて恥ずかしかったのか、顔を赤くして眉を吊り上げる陸に、「何気なく見てしまいました……すみません」と謝罪を重ねた。むむむ、と反省の色がある一織を見つめた彼は、「……何が書いてあるか、中身見た?」とまだ頬を赤くしたまま尋ねる。

「見ました……けど、ハートマークが書かれていただけでしたよ。ちゃんと使ってはいたんですね」
「う……ちゃんとっていうか……最初は予定書き込んでいこうと思ってたけど、続かなくて……日記……ちょっとした記録に使ってたんだ」
「記録?」

 日々つけられていたマーク。何の記録だろうかと疑問を示せば、手帳を開いた陸が、「……した日にマークつけてた」と小さな声で答えた。
 肝心な箇所が聞こえなくて、「何をした日ですか?」と問いを重ねると、彼は「一織と、ハグ、した日……」ともう一度答える。静かな寮で、小さく告げられた言葉が届いた一織は、想定外の答えにぎょっと瞠目した。

「……一織と付き合い始めて、ハグした日が嬉しくて、その日にハートマークつけるようになって……でも、ハグってわりと毎日するから、途中で一織とキスした日にハートを二つ書くように変えて……それで……」

 ぺら、とページを捲った陸は、十一月のスケジュール表を一織に見せる。きらきらと強調されたハートが書かれている日が、まばらにあった。
 ハグやキスをした日として記載されているマークよりも頻度は少ない。陸が、一織との睦み合いについて手帳に残していたと知り、恥ずかしいやら愛しいやら感情が波打っていた一織は、眉根を寄せてそのマークの意味を考える。
 そして。
 ハグ、キス、ときたらその次に来るのは、という理論的な思考と、日付を見て思い当たる出来事が噛み合った彼は、「っ」と陸に負けず劣らないほど顔を赤くした。
 ──身体を重ねた日。

「な……んでそんなこと手帳に記録してるんですか!」
「だって……! これだけ一織とえ……ち……して、愛し合ったんだって思い返すと幸せな気持ちになるから……! 別にいいだろ誰にもわかんないただのマークなんだから!」
「ちょっと貸してください」
「あっ」

 いつ身体を重ねたのか、残されていると思うと羞恥に顔が火照る一織は、陸の手から手帳をもぎ取る。自分の頭の中で頻度を考えながら毎回行為に及んでいるが、こうして数ヶ月分の記録を見ると、形容し難い感情が湧いた。
 それだけの回数、陸を抱いているのだと思うと、胸の奥が甘い熱を持つ。抱かれた回数を数えて、いつ抱かれたのか手帳を見て思い返す陸がいるのだと思うと、堪らない愛しさが湧き上がった。

「……七瀬さん」
「はい」

 恥ずかしそうに殊勝な返事をする陸に、手帳を返す。
 十二月下旬、今年が終わるまで、まだ少し残っている時期。ハートマークを増やして、スケジュール帳を使ってやるタイミングは、まだ残っているということだ。……それは、自分たち次第だが。

「……スケジュール帳、もう少し使わないと勿体ないでしょう」
「……うん」
「ハートマーク、もう少し増やせるようにしましょう、か」

 手帳を持っている手とは反対の手に触れて、陸の小指に自身の指を引っ掛ける一織は、先程の陸と同じくらいの小さな声でそう伝えた。

「……忙しいけど?」
「支障の出ない範囲で」

 間髪入れずに答えた彼は、陸から目を逸らす。
 仕事に影響が出ないようにするのは当然だが、可愛らしい記録をつけていた陸を愛したい気持ちが増した一織は、普段より語調が強くなってしまったことを自覚し、空咳をして誤魔化した。
 珍しい彼に、目を瞬かせる陸が、「……うん」とほんのりはにかむように笑う。
 そうして、その夜、早速手帳にハートを一つ付け足すことになった彼らは、「来年も手帳買おうかな」「……好きにしたらいいんじゃないですか」と会話を交わすのだった。畳む

いおりく

2024年11月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

*イオリク:DiDで歌うリクターの声が耳について離れないイオのワンシーン

「いつでも一緒、すてきな空気、魔法の言葉クリーンエアーマスク~」

 とても、耳につく。伸びやかな歌声も相俟って、抑揚あるメロディーが頭から離れないイオは、ふんふんと楽しそうに歌いながらガスマスクの手入れをしているリクターを見やった。いつでも一緒、という言葉通り、彼はいつもガスマスクを持ち歩いている。
 最初こそ異文化に遭遇した気分で衝撃を受けたが、今ではイオも彼の価値観を受け入れていた。
 しかし──。

(最近は、ガスマスクをつけているところ、あまり見ないな)

 ぼんやりとそう思っていると、こちらを見たリクターと目が合う。にこりと笑う彼に、「ガスマスク、つけないんですか?」と純粋な疑問をぶつければ、リクターは「つけませんよ!」と笑いながら答えた。

「だって、イオと一緒にいるのに」

 軽やかな声が、そう唄う。
 さらりと告げられた言葉に瞠目するイオは、その真意をはかりかねて、「それは、」と曖昧な声音で呟くように言葉を零した。畳む

いおりく

*伏虎:ネクタイを結ぶ手つき、解く指使いにドキドキするお話

 ──解かれる瞬間が、一番心臓がうるさくなる気がする。

 見様見真似でやってみて、上手くいくこともあれば、上手くいかないこともある。

「……ふしぐろぉ……ネクタイ結んで……」

 今まで生きてきた中で、ネクタイを結ぶことなど数えるくらいしかなかった。その数少ない機会を迎えたとき、どうやって結んでいたのか覚えておらず、スマートフォンで改めて結び方を調べていた虎杖は、情けない声を出しながら鏡から目を離し、傍にいる伏黒を振り向く。
 五条から、豪華……否、“超”豪華ディナークルーズに招待された彼らは、相応しい服装で向かうべく、都内の専門店へスーツを仕立てに来ていたのだ。複数人で使用できる試着室にて、釘崎が選んでくれたセットアップスーツを合わせていた虎杖は、サイズ合わせをしていた伏黒に半眼を向けられ、眉をハの字にした。

「ネットで調べて鏡見ながらやってたけど、全然できねぇの」
「オマエな……ネクタイくらい自分で結べるようになっとけ」
「中学の頃ブレザーだった伏黒さんとは違うんです~」

 呆れたように言われて、唇を尖らせる。試行錯誤の末結べはしたが、不格好極まりなかったのだ。そんな格好で超豪華ディナークルーズに行くことなんてできない。
 長さがちぐはぐになっているネクタイを解いた虎杖は、「なぁ、お手本! 頼む!」と懇願の眼差しを彼に向けた。
 上目遣いで、目を合わせて、数秒。

「……ったく」

 嘆息混じりに呟かれると同時に、伏黒の手が伸びてくる。明るいオレンジのネクタイを手に取る彼は、数秒逡巡するように間を置いてから、ゆっくりと結び始めた。自分は結び慣れていても、向かい合って他人のネクタイを結ぶ行為はまた別物だろう。先程の間は、自分が普段結んでいる手順を、向かい合っている虎杖に照らし合わせるための時間だったに違いない。
 脳内で動きをイメージしただけで、ささっとできてしまう伏黒の要領の良さに感心する。わかりやすいよう、所作を一つ一つ区切りながら虎杖のネクタイを結んだ彼は、結ばれたネクタイの形を、きゅ、と整えてから、「この結び方なら、オマエでも覚えられるだろ」と視線を上げた。
 自身の胸元で、器用に動く彼の指を見つめていた虎杖は、一拍遅れて「お、応」と答える。長く細い伏黒の指が綺麗で、思わず見惚れてしまっていた。
 ドキドキと僅かに心臓が高鳴って、頬が熱くなる気がした虎杖は、やばい、と内心唇を引き結ぶ。

(……伏黒の結び方、なんも見てなかった……)

 指に気を取られて、肝心な記憶が飛んでいる彼は、どうしたものかと目を伏せた。見てなかった、などと言えば、怒られること必須だろう。
 そんなことを思っていると。
 くん、とノットに指を引っ掛けられ、結ばれたばかりのネクタイを緩められた虎杖は、「っえ」と上擦った声を発する。そのまま、するすると手際よくネクタイを解かれた彼は、かぁっと顔を赤くした。
 丁寧にネクタイを結ぶ伏黒の手つきも、繊細で惹き付けられたが、解く指使いに動揺する。きっちりと締められたネクタイを緩める仕草は、色香を孕んで見えて、解かれ弛むネクタイを目で追っていると、何故か淫らな気持ちが芽生えた。

「ぁ、ふ、伏黒」

 そのまま脱がされるのではないか、と思ってしまう虎杖は、視線を彷徨わせる。
 しかし。

「ほら、自分でやってみろ」

 そう促された彼は、「…………へ?」と虚を突かれたように目を瞬かせた。「自分で結べるようにならねぇと、意味ないだろ」と言われて、「あ……」と自身の勘違いに顔を引き攣らせる。
 脱がされるのではないか、なんて。

「あ……あー……えっと……見てなかったから、もう一回やってほし、いでっ」

 誤魔化すように返せば、眉根を寄せた伏黒に手刀を入れられた。「ちゃんと見とけ馬鹿」と言われて、「へーい……」と返事をする。
 もう一度、自身の胸元で動く伏黒の手を見つめる虎杖は、今度こそ手順を覚えようとしながらも、ちらりと彼を窺った。
 結んでもらって、また、解かれるのだろうか。
 ただネクタイを緩め、解かれるだけなのに、自身が暴かれるような気持ちになる虎杖は、堪らない感情に緩みそうになる口元を引き締める。

(平常心、平常心……あ待って伏黒今どこに通した?)

 疚しさに気づかれないよう伏黒の指を目で追う虎杖は、流石にまた見ていなかったら手刀だけじゃ済まされん、と慌てて集中するように眉間に皺を寄せるのだった。


 ──その夜、超豪華ディナークルーズという名に隠された任務を終えた虎杖は、今度こそ伏黒にネクタイを解かれ、脱がされ自身の大事な部分を暴かれることになるのだが、それはまた別の話である。畳む

伏虎

*いおりく:いいいおりくの日。「一生」の話。

 一生、という言葉は、甘い響きを持っていて、確実なものに思えて、永遠を約束されるもののように感じた。一方で、それはひどく曖昧で、不安定で不確定なものだと知っている。
 人の身体も、心も、周りの環境も、変わりゆくもので、ずっと同じなんてことはない。
 だから、死ぬまで一生IDOLiSH7! と思っていても、心のどこかで「一生なんて保証されないのに」と思う自分もいて、そんなことを考えてしまう自分が嫌になるときもあって、それでも永遠を信じ切れずにいた。
 ──一織のことが好きだ。その想いは、きっと“一生”消えないもので、胸の奥が甘い熱を持つ恋情を超えるものは、“一生”ない気がした。同じ想いを返してくれた一織との関係は、“一生”変わらないのだろうと思った。
 そうやって、簡単に永久に変わらぬ気持ちを確信してしまう。いつ想いが移り変わるともわからないのに。
 いつ、一織から向けられている想いが変わってしまうかもわからないのに。
 それ故に。

「一生涯あなたを愛します」
「……!」

 見透かされたと思った陸は、隣に腰掛けている一織にぎょっと目を向けた。リビングにあるソファにて、寛いでいたときのことだ。雑誌に視線を落としていた一織が、ビクリと反応した陸に顔を向ける。

「どうしたんですか?」
「いや……お前こそどうしたんだよ急に……」

 唐突な愛の言葉に慄けば、「特集が組まれていたんですよ」と紙面を見せられた。女性向け月刊雑誌には、いい夫婦の日として長年互いを愛し合ってきた夫婦のエピソードが多数掲載されている。
 いくつかのエピソードに目を通した陸が、「……そっか、こうやって一生愛し合ってる人もいるんだなぁ」と納得したように呟けば、「は?」と訝しげな声が聞こえた。やけに剣呑とした疑問符だったため、「えっ」と思わず声をあげれば、じっと顔を覗き込まれる。

「……余計なこと考えていたでしょう」
「かっ……考えてないし」

 やっぱり、見透かされているのかもしれない。そんなことを思いつつ、たじろぐ陸は、「……一生、って、難しいことだと思ったんだよ」と呟いた。
 芸能人の離婚のニュースや、グループ解散。確固たるものだと思っていたものは、いとも容易く失われてしまう。一生という願いを諦めたくないと思っても、自分が願っているだけでは叶わない。愛する相手が、メンバーが、皆が同じ想いを抱いていなければ、綻んでいく。
 時折ぼんやり考えていたことを伝えれば、嘆息した一織に軽く額を小突かれた。

「あぅっ」
「あなたは、すぐ考え込んで不安になりますね」
「なっ……」

 呆れたように言われて、反論しようと口を開くが、ふと見えた彼の表情が優しいもので気を削がれた陸は、言葉を発する前に口を閉じる。

「確かに、一生という言葉は、軽々しく使うものじゃないかもしれません。ただ、過度に不安に思うこともないと思いますよ」
「……どうして?」
「今この瞬間七瀬さんのことが好きで、大切だという気持ちは、一生のものです。何年先の未来でどうなっているかは、確かに保証できないものかもしれませんが、今この瞬間七瀬さんを好いているという事実は永劫変わりません」
「それは……」

 言葉遊びのようなものでは?
 そう思いつつも、一織の言葉に安堵している自分がいた。何事についても、彼の言葉を聞いていると、安心して、大丈夫だという気持ちになるのだ。
 狙って言っているわけではないだろうが、いつも陸の心を掬ってくれる一織の言葉が好きだった。
 考えていたことが、杞憂に思えて、肩の力が抜ける。ふふ、と笑う陸は、「一織、オレのこと好きだって言うとき、照れなくなったよね」と弄るように彼の反応を窺った。「良い変化でしょう」とさらりと言われて、「もー」と生意気な年下の恋人に唇を尖らせる。
 付き合い始めてから、三年。一生変わらないものはないだろうけれど、その瞬間瞬間に感じたものは、確かに永遠なのだろう。例えそれが変わりゆくとしても、それが良いものであればいいな、と、そう思う陸は、こてんと一織の肩にもたれかかる。

「“一生”こんな時間が続けばいいな」

 穏やかで愛しい時間を願えば、「続きますよ」と相槌がある。脆いと知っているからこそ、大事に想いを抱えて、繋いでいくのだ。
 一瞬の煌めきが、永久に続くように。

「……うん」

 肩から伝わってくる一織のぬくもりを噛み締めて小さく頷く陸は、体温に身を委ねるように瞼を閉じるのだった。畳む

いおりく

*いおりく:花吐き病のひとこま。

 咳込む音がして、発作かと思い、陸の背中に手を添える。七瀬さん、と声をかけようとして、一織は目を見開いた。
 ひらり、と白い花弁が陸の手からこぼれ落ちる。
 ──花吐き病。

「ぁ……一織……」

 告白されて、両想いだったのだとわかって、恋人同士になった。
 触れ合って、キスをして、愛情を重ねていた。
 花吐き病は、片想いを拗らせているとかかる病だ。両想いであれば、発症することはない。
 それなのに。

「っ、けほ」

 ひらひらと舞い落ちる花弁が、重なっていく。
 両想いである。そう思っていた。
 しかし、悟った一織は、ああ、と胸の内で自嘲気味に口の端を上げる。
 両想いでは、なかったのか、と、添えていた陸の背から彼の手が滑り落ちた。畳む

いおりく

*伏虎:舌を絡めあう伏虎の話。

「あちぃ〜……」

 うだるような暑さだった。仰ぐことさえ忌避してしまう太陽は、全てを焼き尽くすような輝きを見せている。
 東京都郊外にある山の麓で、補助監督の迎えを待っていた虎杖は、体内の熱を少しでも逃がすように舌を出して呻いていた。
 幸い木陰はあるため直射日光に晒されることはないが、吹く風は熱風が如く、涼やかな森林浴には程遠い。
 ガードレールに腰掛け、はひぃ、と舌を出したまま呼吸していた彼は、ふと視線を感じて隣を見やった。ともに任務にあたっていた伏黒と、目が合う。

「?」

 汗がこめかみを伝う中、舌を出している虎杖を見た伏黒が、犬みてぇだなと思っているなど知る由もない彼は、何? と言うように首を傾げた。
 次の瞬間。

「虎杖、そのまま舌出してろよ」
「へ……んっ!?」

 犬みてぇだなと思う一方、無防備に出された舌に艶かしさを見出してしまっていた伏黒が、虎杖に近づく。
 自身も舌を伸ばし、外に出ていた彼の舌先に触れた伏黒は、熱い舌を絡めた。

「ひょっ……と、ふひくお、っ」

 いつものキスのように、口内に舌を入れ、犯すのではない。外気に触れる場所で、舌を擽られ、絡め取られる虎杖は、悩ましげに眉根を寄せる。
 口腔内という狭い場所で水音を立てながらする深い口付けとは異なる、けれど、空気に触れているせいか、いつもより舌の感覚が鋭くなった気がして、生々しい感触に目を細めた。
 器用に動く伏黒の舌が、敏感な部分を擽る。

「っ……」

 反射的に引っ込めたくなるが、彼を求めるように舌を伸ばし、先を絡め合うのが気持ちよくて、止まらなかった。上手く飲み込めない唾液がこぼれ、汗とまじりながら顎を伝う。

「っ、は……」

 呼吸が乱れて、頭の奥が曖昧になっていた。熱くて、気持ち良くて、蕩けそうになる。
 伏黒の舌が離れていって、思わず追いかけようとする虎杖は、肌を伝っていた唾液を舐め取られ、ひくりと背筋を震わせた。

「……続きは帰ってからな」

 すりすりと頬を撫でられ、心地よさに目を閉じる。伏黒から始めておいて、お預けするなんてずるい。そう思うが、このまま続けていたら暑さに倒れてしまうくらい、熱かった。

「……迎え、まだかな」

 呟きながら、伏黒の指に自身の指を引っ掛ける。
 早く帰って、シャワーを浴びて、彼にたくさんくっつきたかった。

「……途中まで歩くか」

 そう言って、絡んだ虎杖の指を引く伏黒が、「一本道だから、迎えの車と行き違いになることもないだろ」と続ける。

「そうする」

 同意して、ガードレールから立ち上がる虎杖は、へへ、と笑った。「伏黒のキスってエッチだよな」と言えば、「は?」と眉根を寄せられる。「オマエが無防備なのが悪いだろ」と言い返されて、「ぇえー」と返す彼は、参っていたはずの暑さをどこか心地よく感じながら、歩き始めるのだった。畳む

伏虎

*伏虎:甘えることを覚えた虎杖の話。

 暗くて、自分の身体ごと闇に沈んでいきそうな世界。側で身動ぎする気配がして、体温が離れていく感覚を得る。反射的に、ぎゅっとぬくもりを掴んでいた手に力をこめれば、起き上がった主が身動ぎしたのがわかった。
 シングルベッドに、成長期真っ只中な男が二人。くっついていなければどちらかが落ちかねない状況だったが、例え寝転んでいるのがキングサイズのベッドだったとしても、彼らはくっつき合っていただろう。伏黒の腕の中で眠っていた虎杖は、どこかへ行こうとする彼に眉根を寄せる。

「……ふしぐろ……」

 寝惚けた頭で、舌足らずに名前を呼び、ぎゅう、と彼が着ているスウェットを握れば、「……虎杖」と宥めるように伏黒の手が頭に触れた。

「……どこいくの」

 すりすりと側頭部を撫でられ、首筋も擽られる虎杖は、心地よさに落ちそうな瞼を持ち上げ尋ねる。

「トイレ。すぐ戻ってくるから、離せ」

 優しい声だった。しかし、手を離せば伏黒が闇に溶けて消えてしまいそうな気がして、「んん……」と小さく首を振る虎杖は、彼の腰に顔を埋めるようにしがみつく。

「虎杖」

 もう一度名前を呼ばれて、頭にキスを落とされ、促されるように、少しだけしがみつく力を緩めた。
 ──どこにも行かないでほしい。傍にいてほしい。時折そんな気持ちが溢れて、胸が苦しくなる。甘えただなと思いながらも、伏黒が許してくれるから、つい我儘になってしまった。
 ただのトイレ。数分もせずに戻ってくるはずなのに、そのたった数分が寂しくなる。
 静かな夜は、離れたくないという感情が特に増した。

「…………」

 そっと、名残惜しさを残して手を離す。
 トイレを邪魔した結果、大変なことになってはいけない。そんな理性が頭の片隅に残っていたため、伏黒を離せば、そっとベッドを下りた彼の小さな足音が遠ざかっていった。

(……へんなの)

 目を覚ますほどだ。トイレへ行くのは急ぎだろうに、自分と同じように名残惜しそうな気配が伝わってきて、虎杖は可笑しさに小さく口角を上げる。
 伏黒がいなくなって、ベッドの中で感じていたぬくもりが減った気がした。残り香のような温度を感じながら、うとうとと瞼を下ろす。しばらくしてから、裸の足裏が床を踏む音が聞こえてきて、ふっと目を開けた瞬間、ぎしりとベッドが軋む音がすると同時に、頭を撫でられた。
 髪を掻き分けるように指を通す伏黒の手に、「おかえり」と声をかける。「ただいま」という柔らかな声に抱き締められて、ぬくもりが戻ってきた虎杖は安堵したように思考を手放した。
 ──翌朝、ぽやぽやと心地よい穏やかな気持ちで目を覚ました虎杖は、じっとこちらを見ている黒瞳にぎょっと目を剥いた。

「おはよう虎杖」
「お、……はよ……」

 至近距離で伏黒の瞳を見ると、心臓が跳ねる。射抜かんばかりの瞳の強さに、顔を赤くしつつ起き上がった虎杖は、同じく身を起こしてベッドから下りる彼を目で追った。
 朝は強いはずなのに、ここ最近、伏黒に包まれて眠っていると、ついつい寝すぎてしまう。それほどまでに身も心も委ねて、甘えてしまっていた。
 昨夜、ただトイレに行こうとしていただけの彼を引き止め、離さなかったことを思い出した虎杖は、目を伏せる。

「……昨日、トイレ間に合った?」

 もし間に合っていなかったのなら大惨事だ。無論、無事間に合ったことは知っていた。けれど、何か言わないといけない気がして言葉を発する。虎杖の問いに、伏黒は一拍おいた後、「間に合ったよ」と軽い調子で答えた。
 ……失う恐怖を知った。伏黒が宿儺に呑まれ、帰ってこなかったらどうしようと思うと、心臓が萎縮した。どうにかして助けなきゃ、助けなきゃと必死で、一方生を諦めようとする伏黒の意志も尊重したくて、でも……伏黒がいない世界を考えたら、泣いてしまうくらい寂しかった。
 さみしい。一人にしないで、と縋りたくなった。
 その想いに応えてくれたのか、はたまた別の理由か、伏黒が生きることを選んでくれた理由について、聞いたことはない。
 しかし、彼がいない寂しさを知って以来、甘えた言動が増えている自覚があった虎杖は、閉められていたカーテンを開けようとしている伏黒を見上げた。ベッドに腰掛けたまま、口を開く。

「……うざい?」
「は?」

 主語も何もない言葉に、眉間に皺を寄せた伏黒が振り向いた。
 伏黒を感じたくて、甘えてしまう。反面、甘えられることを鬱陶しく思われていたら、やだなぁとも思うのだ。そんな自分勝手な質問の意を察したらしい伏黒が、こちらへ向けたばかりの顔をふいと逸らす。ゆっくりと瞬きしながら、何気ない所作でカーテンを開いた。

「……嬉しいだろ」

 当然のように答える彼に、虎杖は瞠目する。
 好きな奴に甘えられたら、嬉しいに決まってるだろう。そう告げる声の優しさ──否、声の甘さに、ふにゃりと相好を崩した。

「……オマエも大概だよなぁ」

 欲しい答えをくれるのは、伏黒の優しさ、ではない。本気でそう思っているのだとわかる言葉に、胸が甘く締め付けられる。

「オマエは、甘えすぎるくらいが丁度いいんだよ」

 掴んでいたカーテンから手を離し、虎杖の側に歩んできた伏黒の手が頬に触れた。すり、と輪郭を辿るように撫でられて、虎杖は擽ったそうに笑う。
 そんなん言われたら、もっと甘えちゃうじゃんか。
 笑いながら言えば、それでいい、と仄かに嬉しそうな相槌が返ってきた。伏黒の手が右手に触れて、小指同士を絡め合う。
 小さな幸せを積み重ねるように、「今日出かける?」「買い物は行っときてぇな」とささやかな会話を交わした。
 きっと、好きな人が傍にいることは、奇跡だ。その幸せを離したくないというように、虎杖は絡めた小指に力をこめる。
 絡んでいる指は、ちょっとやそっとでは離れそうにない気がして、彼は「じゃあ、支度するか」と笑うのだった。畳む

伏虎

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