Shangri-La Stage 04.Opening


「悟、コンビ解消しようか」

 まるで、今晩の外食はやめにしようか、というように、日常的な話をするかのような軽い調子の提案だった。バラエティ番組の出番を終え、チョコレートを摘まみながら伊地知の迎えを待っていた五条は、「は」と告げられた言葉の意味を理解するより先に出た自身の声で我に返る。
 コンビ解消、なんて自分たちには縁遠い言葉だと思っていたため、思考がワンテンポ遅れた。

「お笑いはやめよう」
「……な、何で」

 冷静な声音で、淡々と告げる夏油に返した声が震える。摘まんでいたチョコレートを取り皿の上に戻し、柄にもなく動揺する自分の姿は、彼の目にどう映っただろうか、と、今であればそんな客観的な視点からの疑問も湧くが、当時は茶化す余裕もなかった。
 夏油が醸す雰囲気が、笑い飛ばせるようなものではなかったから。

「向いてないだろ、君も私も」
「な……んなことねぇだろ。C-1でも優勝したし、毎回客は大爆笑だし」
「そうじゃないよ。技術の話じゃない」
「なら──」

 何の話だっていうんだよ。冗談も大概にしろよ。さっきの収録で疲れたんだろ。司会のつまんねぇギャグに愛想笑いするのも楽じゃねぇもんな。疲れたから変な考えになってるだけだって。
 そう言葉を羅列するが、首を横に振る夏油に響いた様子はない。
 今まで掻いたことのないような冷や汗が、背筋を伝う。至極冷静に見える夏油の表情に、前世の記憶が重なった。
 自分で決めたことだと、背を向けられた。引き留めることも、追うこともできなかった。

「とにかく、今から伊地知に話して、明日祓ったれ本舗解散の公表をする」
「すぐ……」

 喉から掠れた音が出る。名前を呼んだつもりが、音にならなかった。
 置いていくなよ。
 もう置いていかれるのは御免だ。

「待てよ傑。いきなり解散って言われても納得できるわけないだろ。何で解散したいのか、理由を言えよ」
「向いてない、ってさっき言ったろ」
「俺は向いてないとは思わねぇ。解散解散言うんじゃなくて、不満があんなら言えよ」
「別に不満はないよ」

 一方的な主張に対して、どうしてそのような考えになったのか、何を言えばその考えを改めさせることができるのか、考えてもわからなかったから、ひたすら言葉を尽くすことで聞き出そうと試みる。しかし、のらりくらりと答える夏油に真意を告げる気はないようで、「明日からの仕事はキャンセル。違約金を払わないといけないだろうけど、今の私たちならポケットマネーで何とかできるだろう」と話を進める彼に、五条は「話聞けよ!」と吠えた。

「今の君の状態だと、何を言っても聞かないだろ。コンビはお互いの気持ちがあって成り立つものだ。私は解散したい。だから解散」
「意味わかんねぇよ!」

 バン、とテーブルに手を叩きつければ、初めて夏油の眉間に皺が寄る。感情的になる五条を一瞥し、嘆息した彼は、「あのな悟」と言い聞かせるような声音で彼の名を呼んだ。
 自分勝手に解散を告げたのは彼の方なのに、まるで自分が聞き分けの悪い子供のように諭されることに我慢ならなかった五条は、「俺の意見は無視かよ」と唇を噛み締め、「傑の馬鹿! もう知らねぇ!!」と楽屋を飛び出た。
 今思えば、そこで話し合いを放棄するように出て行ってしまったのが悪手だったように思う。しかし、あのまま話していても平行線だった気もした。
 結局、その後「解散の話、伊地知にするからね」と夏油からメッセージがあり、既読無視をしていると、「返事がないのは了解だと思うからね」と追加で連絡があり、それもまた無視していると、伊地知から電話があった。
 慌てた様子で、コンビを解消するというのは本当か、と問われ、「傑がそう言ってるならそうじゃねぇの」と半ばやけくそに返した。明日からの仕事は、と続けて尋ねられ、「俺は出るけど、傑は知らねぇ」と言えば、「五条さんは出てくれるんですね」と僅かに安堵したような声が聞こえる。
 その結果が──本日の一人きりの撮影となっていた。

「……俺も仕事キャンセルすりゃよかったかな」

 ぽつりと呟く。しかし、仕事をキャンセルするつもりは毛頭なかった。
 五条が漫才をしている理由は、夏油に笑っていてほしかったから。コンビを解消しても、もし自分の仕事で彼がまだ笑ってくれるのであれば、一人でも続ける。もし彼が笑ってくれなかったら──。

「……そんときは、どうするかな……」

 額に手を当て、体内の陰気を全て吐き出すように嘆息した五条は、楽屋の扉がノックされた音に気づき、顔を上げる。撮影の開始を告げるスタッフに応えた彼は、けだるげな所作で立ち上がった。

 ◇◆◇

「──ただいま」

 撮影の後、トーク番組の収録も終え帰宅した五条は、「おかえり」とリビングのソファからこちらを振り向いた夏油に目を瞬かせた。「遅かったじゃないか」と朗らかに声をかけてきた彼に、「……は」と眉根を寄せる。
 高校を卒業した後すぐに同棲を始めてからずっと二人で暮らしていたため、帰宅した自宅マンションに彼がいることは、何ら不思議なことではない。
 ただ、半ば無理やり解散に持ち込まれ、喧嘩の真っ最中のつもりだった五条は、にこやかな彼に口元を引き攣らせた。

「私がキャンセルしたら、君もやめると思ったのに」
「オ……マエが! 仕事ドタキャンするから! オマエの分まで俺が働いてきたんだろうが!」

 糾弾するように指を差しながら、ドスドスと足音を鳴らし夏油に近づく。仕事着であるスーツのまま帰宅した五条とは異なり、丸一日のんびり寛いでいたらしい部屋着姿の彼は、「それ、伊地知に頼まれたのか? そんなはずないけど。私がやめれば君も一緒にやめると思ったのに」と思案するように顎に手を当てた。今回一番被害を被っているだろう伊地知に矛先が向きかけていることに気づいた五条は、「俺が出るって言ったんだよ」と夏油の隣に腰を下ろす。

「コンビ解消しても、芸能界引退するわけじゃねぇし、俺は解散する気ねぇし、オマエが勝手にドタキャンしただけだろ」
「……芸能界引退しないのか? 私と漫才しないのに?」
「……え、何、オマエ芸能界も引退するつもりなの?」
「だから今後の仕事を全部断ったんだろ。むしろ私は君がどうして仕事を続けるのかわからないんだけど」
「…………」

 普段は、誰よりも論理的に、順序立てて物事を説明する夏油だったが、何か要領を得ない気配を感じた五条は、「……私と一緒にやめてくれると思ったのに」と続ける彼に、「……なぁ、傑、どういうこと?」と困惑した顔で尋ねた。
 解散を告げ、今後の仕事を全てキャンセルした彼は、どんな思いでその選択をしたのか。

「何で俺たち解散したの?」

 昨日はまともに答えてくれなかった彼に、今一度問う。その問いかけを真っ向から受け止めて、仄かに口角を上げた夏油は、口を開き──。

「──んむ!?」

 自然な所作で口付けられた五条は、目を剥き肩を跳ねさせる。ちゅうと微かに唇を吸うように口付けてから、離れていく夏油に、「……オマエの情緒がわかんねぇんだけど」と愕然とする彼は、「君に芸能界をやめてほしかったからだよ」と言われて、「……俺?」と呆けた声をあげた。

「人気が出てから顕著になってきた芸能界のしがらみに、苛々してるだろ。君も私も、お笑いにしがみつく理由はない。悟に芸能界は合わないよ。もっと君に合う場所を見つけたらいい。だから」
「だから解散することにしたって?」

 自分勝手に解散を告げた。しかし、それは五条のためだった、と宣う夏油に、五条は眉を吊り上げる。
 確かに、芸能界の闇と称されるような厄介な暗黙のルールや人間関係に辟易していた。しかし、夏油と漫才ができるなら、彼を笑わせることができるなら、そんなことは五条にとって些細なことだった。
 しかし、窮屈そうな五条を見かねて引退を決意したらしい彼の配慮に、腹立たしさが湧き上がる。
 仕事をやめろと言われたら、ムキになった五条は反発して逆に仕事を続けるだろうと思っていた。それは彼のためにならない。故に、自ら先んじて引退し、五条が追従してくることを期待していたと続ける夏油に、歯噛みした五条は、「……ふざけんなよ」と地の底を這うような声で彼を睨めつける。
 夏油の気遣いは嬉しかったが、それはどこかお門違いな優しさだった。こんなに一緒にいて、何で俺の本当の願いを理解しないんだよと罵りたかったが、前世の出来事も絡む感情だったため、お笑い芸人を目指した具体的な理由について、きちんと彼に話していなかったことを思い出す。
 しかし、それなら、今からこの生真面目な気遣い野郎に、思い知らせてやればいい。コンビ解散を公表してしまったため、すぐに再び漫才をすることは叶わないかもしれないが、引退する気満々の彼を、自分がもう一度表舞台に引きずりだして、自分はこれがしたいのだと思い知らせてやればいい。

「……傑、俺との漫才好き?」
「……好きだよ。君のネタが一番面白くて笑えるしね」

 その言葉が聞ければ、十分だった。
 彼の選択が、自分を想って選んでくれたものであるなら、お互いの気持ちをすり合わせて、離れないよう手を掴めばいいだけだ。

「俺は芸能界やめない」
「……悟」
「確かに芸能界は面倒くせぇことも多いし、嫌になることもあるけど、やめない。傑に芸能界に戻る気がねぇなら、オマエが俺のやりたいことを改めて理解して、もう一回コンビ組みたいって言うまで、ピンで活動する」
「……別に、芸能界に拘らなくても」
「オマエが俺のネタで笑ってくれる限り、やめない」

 はっきりと告げれば、むっと顔を顰めた夏油が、居住まいを正し五条を見据える。

「頑なだな。私は芸能界に固執するつもりはないし、悟はもっと広い世界を見た方がいいと思う。一度芸能界から引退すべきだ」
「オッエー、自分の発言が傲慢だとは思わねぇのかよ」
「大体、漫才に拘ることもないだろう」
「あるよ」

 即答すれば、口を噤んだ夏油が、五条の言葉の続きを待つように沈黙した。
 にっと笑った五条は、彼の両肩を掴み、ソファの上で押し倒す。

「前に言っただろ。俺がオマエを一生笑わせてやる、って!」

 得意気に告げれば、瞠目した夏油が言葉を失ったようにぽかんと口を開けた。
 置いていかれそうになったわけではないと知った五条は、先程までとは打って変わって、ご機嫌な調子で彼に口付ける。

「傑に、もう一回俺とコンビ組みたいって言わせてやるからな!」

 ビシッと、まるでアイドルがライブで指差しするように夏油の顔に人差し指を突きつけた五条は、「……アイドルでも目指す気なのか君は」と参ったように微苦笑する彼に、「? なんねぇよ?」と首を傾げつつ返した。
 うーん、と逡巡するように一度視線を五条から逸らせた夏油は、「……言わせてみなよ」と肩を竦めて彼を見上げる。ふふん、と自信ありげな表情をしている五条の手首を掴み、押し倒し返した彼は、「こうやって、私に負けないようにね」と口角を上げた。
 あっさりと仰向けに押し倒された五条が、悔し気に顔を歪める。


 祓ったれ本舗解散。
 日本中がその衝撃的なニュースに翻弄されている中、引退とコンビ復活の二択で願望を戦わせることとなった夏油と五条は、「ひとまず今日は停戦」とどちらからともなく唇を重ねるのだった。


 Leads into the next event.


 


Page Top