Shangri-La Stage 01.Prologue


 その夏の日を覚えている。
 高等学校の入学式で、傑と再会した。俺にとっては再会だったけど、アイツにとっては初対面。前世の記憶がないのかと、初めこそ寂しさを抱いたけれど、憶えていない方がいいと思った。
 ただ。

「オマエって爆笑しねぇよな」
「え? そう?」

 すっとぼけたような顔をして首を傾げる。
 苦笑は見たことある。微笑も見たことある。でも、本気で笑ってるのかわかんねぇ。表面上で笑ってるだけじゃねぇ? 心の底から笑えてる?
 そう尋ねれば、「何言ってるんだ」と苦笑された。
 傑が、心の底から笑える世界であってほしい。そう思う。呪力というものがあった世界で、「心の底から笑えなかった」と言った彼の言葉が、まるで呪いのように纏わりついていた。
 傑に笑っていてほしい。傑を笑わせてやりたい。そんなとき、初めて傑の爆笑を見たのが──。

「もうええわ!」
「どうもありがとうございましたー!」

 漫才。食堂で昼飯を食べながら、壁にかけられているテレビで流れていたお笑い番組を見るともなく見ていたとき、傑が声をあげて笑った。
 これだ、と思った。
 翌日、昨年のグランプリで優勝したコンビの漫才を一人二役で掻い摘んで披露したら、傑は腹を抱えて笑ってくれた。
 ──これだ。

「傑! 傑傑傑!」
「そんなに呼ばなくても聞こえてるよ。おはよう悟」
「俺とコンビ組もうぜ!」
「……は?」
「俺が……」

 俺がオマエを一生笑わせてやる、と、教室でそう告げた朝のことをよく覚えている。

 ◇◆◇

「俺がオマエを一生笑わせてやる、って、私そんなに笑ってない人間に見える? 七海より笑ってる自信あるんだけど」
「基準は人それぞれなのでノーコメント。ですが、私から見れば夏油さんは人並みだと思いますよ」
「悟が笑いに拘る理由が謎なんだよねぇ」

 夏休み前の某日、一つ下の学年である七海の教室で、彼が日誌を書いているところを眺めていた夏油は、うーんと頬杖をついた。下校時刻を過ぎているため、教室内に残っているのは二人だけだ。
 普段からともに下校している灰原が委員会の会同に出席していたため、終わるのを待ちながら日直の仕事をしていた七海は、「ところで」と数十分前に来てから手持無沙汰にしている夏油へ目を向けた。
 五月に行われた球技大会で、何の脈絡もなく五条に絡まれたことをきっかけに時折話す間柄になっているが、夏油が教室まで来るのは珍しい。

「夏油さんは何故ここに?」
「悟待ちだよ」

 七海の疑問の答えとして返ってきたのは、単純な言葉だった。怪訝そうな顔をする彼に、「私たちの教室に残ってネタを書いてるみたいなんだけど、オマエは見るなって追い出されたんだよね」と答える夏油は参ったように腕を組む。

「置いて帰らないんですね」
「オマエが抱腹絶倒するネタを書いてくるから待ってろ、って言われたからね」

 そう苦笑する彼は、「コンビなんだから、一緒にネタ考えるのもアリだと思うんだけど、悟が強情なんだ」と付け足した。
 漫才コンビを組もうという、突拍子のない五条の提案。夏油はそれとなく退けるだろうと思っていた七海は、意外そうに瞠目する。
 彼が、あまりにも自然にコンビを受け入れていたから。

「……五条さんとコンビを組むんですか?」

 つい口をついて出てきた質問に、うんと頷く夏油が、「悟にお願いされちゃあね」と続けた。
 そのとき、閉められていた教室の扉が開き、「七海ー! おまたせ!」と灰原の元気な声が響く。

「あ、夏油さん! お疲れ様です!」
「お疲れ、会同は終わったのか?」
「はい! 七海は日直の仕事終わった?」
「日誌を提出したら終わりです」

 窓際の机まで歩み寄ってきた灰原は、「じゃあ、帰りにたい焼き買って帰ろうよ」と声を弾ませた。何がじゃあなのかは不明だったが、断る理由もない七海は「そうですね」と相槌を打つ。「夏油さんも一緒にどうですか?」と灰原に振り向かれた夏油は、「私は遠慮しておくよ」と席を立った。

「悟を待ってるからね」
「残念……また今度一緒に行きましょう!」
「ああ」

 残念そうに肩を落とし、しかし次を期待する彼に笑う夏油は、「そろそろ戻るよ。また明日」と教室を出る。
 各々挨拶する後輩の声を背に、自身の教室へと向かう彼は、横びらきの扉を開きながら「悟」と室内に声をかけた。室内には五条一人が残っているだけだったが、夏油の声かけは聞こえていないらしい。
 何でもそつなくこなす五条が、眉間に皺を寄せノートとにらめっこしている姿は珍しく、集中しているらしい彼の唇は引き結ばれている。前の席に腰を下ろし、五条を振り向いても反応はなし。
 一週間ほど前から、ずっとこの調子だった。いつもなら絶え間なく喋って笑っているのに、彼の蒼い瞳は紙面しか見ていない。

「妬けるな」

 ぼそりと低く呟かれた独り言には気づいたのか、ペンを走らせるのを止めた五条が顔を上げた。瞬間。

「──ぇ」
「ん?」
「……え!?」

 ちゅ、と重ねられた唇に目を見開いた五条が、一拍おいた後、びくりと飛び上がった。派手な音を立てて床を擦る椅子の脚が不安定に揺れ、ぶつかった後ろの机がずれる。

「な、な、な」

 白い肌は、頬の赤らみを素直に映していた。
 顔を真っ赤にして言葉を失っている彼に、予想外に大きな反応をされた夏油は、「思ったより初心なんだな」と告げる。

「おま、オマエがヤリチンなだけだろうが!」
「酷いな。突然キスしたからといってヤリチンかどうかはわからないだろ」
「漏れなく絶対そうだろ」

 猫が毛を逆立てるように、フシャーッと警戒している五条は、身勝手にキスしておいて尚飄々としている夏油に、「……何で」とつっけんどんな声で尋ねた。「何でキスしたんだよ」と問う彼は、握りっぱなしだったペンを置く。
 恋人、ではない。ただの友人だったのに、突然一線を越えてきた夏油を窺う五条は、そんなつもりじゃなかったのに、と胸の内で呟いた。
 前世では、恋仲だった。しかし離別し、自分で彼を殺した。だからというわけじゃないが、今世では、ただ彼に幸せに生きてほしくて、故に恋情は邪魔だと思っていた。
 だって、恋仲になれば、自分勝手な欲が出てしまうから。

「嫌だった?」
「聞き方が遊び慣れたクズのそれなんだよなぁ」

 がしがしと乱暴な所作で頭を掻く五条は、質問に対し黙秘を決め込む。
 嫌じゃなかった。だから厄介なのだ。

「俺の質問に答えろよ」
「妬けたから」

 もう一度問うた彼に答えた夏油の声は、純粋なものだった。

「……は?」
「少し前から、ずっとネタを考えてるだろ。君と話す時間も減ったし、この薄っぺらいノートに嫉妬したんだ」
「……だからキスした、って?」

 想定外の答えに、ぽかんと呆けた顔をする五条は、はぁぁとわざとらしく長嘆しながら側頭部を机に載せる。

「……何だそれ」
「ネタ、私も一緒に考えさせてよ」

 するりと夏油の指が彼の前髪を柔らかく梳き、五条はほんのりと熱くなっている顔を隠すように顎を引いた。
 笑っていてほしい。ただそれだけが願いだったのに、「一緒に」と言われると、胸の奥で幸福感が渦巻く。

「……俺のネタ出しについて来れんのかよ」
「追い抜くくらいじゃないと、君の相方は務まらないだろ。きっと私が考えるネタの方が面白いよ」

 得意げに言う夏油に、顔を上げ、口角を上げた五条は、喜色を隠すことなく彼を見つめた。
 夏油と肩を並べてともに歩めることが嬉しくて、キスされたことが些細なことに思えてくる。

「じゃあ、俺たちで最強のネタ考えようぜ!」

 はりきる五条に、同じく口の端を上げた彼が「ああ」と応えた。
 二人きりの教室で、挙げた掌同士をパチンとぶつけ合う軽やかな音が響く。
 のちに、祓ったれ本舗というコンビ名で一世を風靡する彼らは、顔を見合わせ笑いあった。





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