Sweet and Sour

恋人でも何でもないけど、一織に可愛いと言われたい陸のお話。


 和泉一織と人気の若手女優が主演を務める恋愛ドラマ。その最終回目前に放送された特別番組。
 高校生を中心に人気が爆発し、高視聴率を獲得しているドラマには、テレビ局も力を入れているようで、メインの役者や大物芸人を集めて収録された特別番組は、放送前から既に話題になっていた。
 ドラマ内のエピソードを振り返りながら、出演者がクイズに挑戦するという無難な内容だったが、役者が揃えば大いに盛り上がるものである。
 開幕から十分ほどで、特別番組だけでなくドラマ自体の面白さも伝わってくる秀逸な構成が組まれていることは、そういったことに疎い陸にもよくわかった。
 リビングで、一織と二人テレビを見ていた彼女は、ちらりとテーブルを挟んだ向かいに腰掛けている彼を見やる。
 自分の出演番組を見返して、分析しているのだろう。真剣な眼差しを画面に向けている一織は、陸が先程から、──おおよそテレビを見るときの表情ではない、ぷくっと頬を膨らませた顔をしていることに気づいていないようだった。
 番組が面白くないわけではない。ただ、画面に映る一織を見ていて、面白くない気持ちになってしまっただけだ。

(……可愛いと思いますよ、だって)

 ドラマ内で、ヒロインはデートの際、いつも異なるヘアアレンジをしていた。変化する髪型は、ドラマのポイントの一つになっている。そんな中、一織演じるヒーローが、ヘアアレンジをしている彼女に「可愛い」と伝えるシーンがあった。柔らかな表情が、まるで王子様のようだと騒がれていたシーンだ。
 振り返り映像でそのシーンが流れた後、司会に「一織くん自身は、女の子のヘアアレンジどう思う?」と訊かれた彼は、「普段と違う姿を見せようとしてくれるのは、嬉しいですよね。可愛いと思いますよ」と答えていた。

(可愛い、って)

 微笑しながら答えた一織の顔を思い出し、陸は膨らませていた頬を更にぷうと大きくする。

(わたしには言ってくれないのに)

 よく読んだ本や見たドラマに影響を受ける陸は、一織が出演しているドラマにも影響を受け、最近ヘアアレンジに凝っていた。自分ではなかなかうまくできない髪型も、してやろうかと言ってくれる三月や大和にしてもらって、様々な髪型を楽しんでいる。
 しかし、一織がそんな陸の姿を見て、「可愛い」と言ってくれたことはなかった。

(……可愛い、って、言ってほしいな……)

 自分がしたくてしているだけで、誰かの賞賛を求めているわけではない。
 しかし、一織に、可愛いですね、と微笑みながら言われたら……きっと嬉しさで心臓が飛び出ちゃうくらい、幸せな気持ちになるだろうに。
 一織の言葉が、司会に振られたからのものだというのは知っている。けど。

(テレビでは言うのに、わたしには言ってくれないんだ)

 そう考えて、むくれてしまう。メンバーや、仕事で会う人たちは、髪型について触れてくれるのに、一織は何も言ってくれないのだ。

(わたし……可愛くないのかな)

 何も言われないということは、一織に何も思われていないということだろうか。そう思い至って、陸の表情が少しばかり沈んだものになる。
 一織に可愛いと思われている前提で考えていたが、それは陸の願望であって、実際彼にどう思われているのかはわからない。
 誰に可愛いと思われたいか、と訊かれたら、陸の中で真っ先に一織の名が浮かぶのに、一番思われたい人から思われていないのなら、──そうだとしたら、彼からの言葉を望むだけ無駄な話だ。

「…………」
「──瀬さん、……七瀬さん」
「わっ!」

 落ち込んだ気持ちで画面を見つめていた陸は、そのとき、名を呼ばれたことに気づき、びくりと肩を竦ませた。
 振り向けば、画面に向けられていた一織の目がこちらを向いている。「な、何」と上擦った声を返せば、「さっきから百面相をして、どうしたんですか」と尋ねられた。

「百……してないけど!」
「していたでしょ。頬を膨らませたり、沈んだ顔をしたり……あなたが見たいと言ったから見ているのに、上の空じゃないですか」
「それは……」

 表情に気づかれていたのだと思うと、途端に恥ずかしくなる。じっと様子を窺うように見つめられて、その視線に耐え切れず俯けば、ピッと短い電子音がして、テレビの音声が消えた。

「えっ、……あ!」

 画面を見ると、先程まで一織が映っていたテレビ画面が真っ黒になっている。テレビを消した一織に、抗議するような眼差しを向ければ、「兄さんの頼みで録画しているので、続きを見たければ後でどうぞ」と言われた。
 ぐっと言葉に詰まった陸は、観念して、「……一織は……」と口を開く。
 三つ編みは、鏡で見える部分なら自分でもできるようになったから、今日も横髪を一束編んでいた。無意識にその編み目を弄る陸は、目を伏せる。

「一織は、女の子のヘアアレンジ、可愛いって思うんでしょ。でも……わたしには、可愛い、って言ってくれないから……」

 詰るように告げて、そのまま「わたし、可愛くないのかな、って……」と自信なさげに呟けば、「そ……」と途切れた言葉を発した一織が、「そんな恥ずかしいこと言えませんよ」と顔を赤くしていた。

「テレビでは言ってるじゃん!」
「ドラマ内の台詞はただの台詞ですし、特番の件であれば」
「テレビだから、っていうのはわかってるよ! でも……一織に、可愛いって……言ってほしい……」

 台詞は台詞、特番での話もある程度台本で決まっていることだったというのはわかっている。しかし、少なくとも特番での話は、中身のない表向きの言葉ではないだろう。いくら台本に示されていたとしても、一織は心にもない言葉は発しない。
 だからきっと、ヘアアレンジを可愛いと思う、というのは彼の本心で。故に、可愛いと言われないのは、自分が可愛くないからだろうかと思ってしまうのだ。
 ねだるような口調になってしまうことに、僅かな羞恥を覚えながらも正直に伝える陸は、顔を火照らせながら一織を窺う。そして、ぎょっとした。
 一織も、自分と同じように顔を火照らせていたから。

「可愛いって……言ってほしいって、あなたね……」
「ぁ……」

 手の甲で口元を隠している一織に、ドキンと胸が高鳴る。「公の場で、世間に向けて伝えるのとはわけが違うんですよ……」と呟く彼に、微かな期待が生まれた。「……言って、ほしい」と駄目押しでもう一度ねだれば、一織の細い眉がピクリと動く。
 少しでも、可愛いと思ってくれているのなら──口にしてほしい。
 じっと請うように見つめれば、目を合わせようとしない一織が、テーブルに向かって「……すよ……」と小さく口を開いた。

「……?」

 小さすぎて聞こえない言葉に首を傾げて、「聞こえないよぉ……」と情けない声を出せば、「……と思ってますよ……」と少しだけ大きくなった声が届く。しかし、それでも肝心なところが聞こえない。
 「……一織ぃ」ともう一度聞き返せば、顔を上げた一織の瞳が陸を射抜いた。耳まで真っ赤にして、照れくささを堪えるように、眉間に皺を寄せている彼の声が、彼女の耳に届く。

「七瀬さんのことは、いつも……可愛い、と、思っていますよ……」
「っ……」

 告げられた陸の顔に、ふわっと朱が差した。
 いつも。可愛い、って。
 心臓が高鳴り、かぁっと体温が上がる気がする。どんな顔をすればいいのかわからなくて、うにゃうにゃと唇が定位置を忘れたように動いてしまった。
 緩む口元を無理やり引き結ぶ陸は、「……もう一回言って」と追加でお願いする。「……嫌です」と拒否した彼に、「えぇー」と落ち込んだ声を返した。しかし。

「テレビで、不特定の人を相手に言うのではなく、本当に……心の底からそう思っている人に、直接伝える恥ずかしさは、あなたもわかるでしょう」

 言い訳するように言った一織の言葉を咀嚼した彼女は、「……ぇ……」と微かに瞠目する。
 もう一回、の声には応えてくれなかった一織だが、可愛いと告げてくれたことについて、それが陸にねだられたから告げたわけではなく、本当に普段からそう思ってくれているのだとわかるような物言いで……。
 言い訳しているのに、墓穴を掘っているような彼に、顔だけでなく身体まで熱くなる陸は、「そ、そっか……」と上擦った声を返す。
 弾けたベリーの甘酸っぱさに、きゅっと口を閉ざしてしまうような、そんな沈黙が数秒続いた後、一織がリモコンに手を伸ばした。ピッと電子音がして、賑やかなテレビの音が間を繋ぐ。

「……続き、見ましょうか」
「……うん……」

 一織の提案に乗った陸は、気まずさを誤魔化すようにテレビに視線をやった。
 可愛い、と言ってほしい気持ちはあるけれど、可愛いと心の底から思っているからこそ恥ずかしくて言えないのだという彼の言葉が、嬉しい。
 「一織、ありがとう」と伝えれば、「……はい」と短い相槌が返ってくる。ちらりと横目で彼を窺えば、一織もまだ頬がほんのりと赤く染まっていて。
 表情を緩ませた陸は、赤面している彼と見比べるように、テレビの中の一織に視線を移すのだった。


Fin.


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