「聞きましたか? 不老不死は作れるそうですよ」
カツン、とチェスの駒を置く音が、静かな屋敷の一室で響いた。灯された炎が、ランプの中で揺らめく。駒の動きを目で追うイオリは、「禁忌を犯す、酔狂な人がいたものです」と笑いを含んだ声で続けた。
その向かいで、白いビショップを摘んだ男が、へぇと可笑しそうに口角を上げる。白銀の長髪が、彼の所作に従い微かに乱れていた。
繊細な指先が駒を動かし、しかし戦局は硬直したままだ。瞳に咲いた薔薇越しに見える世界は、一体どのようなものなのか。世界で唯一──否、たった二人だけ存在している吸血鬼の片割れであるユキが、「禁忌の申し子のような君が、何を」と揶揄うように呟く。
長考することなく、再び駒を動かすイオリは、「人の子を自らの領域に連れ込んだあなたに言われたくないですね」と歌うように返した。
「自分が異端であることを隠して人のフリをしている方が、気が知れないよ」
順番が巡ってきて、キングを逃がすユキが、冷笑混じりに口にする。
ひやりとした空気が漂う部屋で、彼らのため紅茶を淹れてきた青年が、「……仲、悪いんですか……?」と口元を引き攣らせていた。玄関ではなく、突如二階の窓から屋敷を訪ねてきた奇術芸団の団長・イオリに目を剥いたモモは、慣れた様子でチェスに興じ始めた彼らの関係性に首を傾げていたのだ。
ユキと揃いの白薔薇で瞳を隠したまま、イオリを窺うモモは、「いいや? 旧い仲だからね。お互い遠慮がないだけさ」と愉しげなユキに言われて、「……そうですか……」と懐疑の目を改める。
ユキの手で、人から吸血鬼へとその存在を変化させられている彼を見上げたイオリは、年若い青年を労わるように微笑んだ。
「人と異なる者が、人を逸する道に誰かを引き込むことと、人が、人智を越えた方法で誰かを人ではない者に変えてしまうこと、どちらが罪深いんでしょうね」
先日、とある伝手を通じて、どこかの錬金術師が死者蘇生を行った話を聞いていた彼は、誰にともなく問いかけるような声音でそう口にする。
「もし前者が罪に値しないのであれば、君もあの画家くんを自身の領域に連れ込むのかい?」
イオリの問いに、質問を返したユキは、モモが机上に置いたカップを手に取った。
どこで情報を仕入れたのやら、イオリが出会った画家の存在を知っていたらしいユキに一瞬瞠目した彼は、「まさか」と口元に弧を描く。
「彼は、彼のままであることが美しいんです」
手は出しませんよ、と続ける彼は、ふと半円アーチ型の窓の外に目を向けた。閉じられた窓の隙間から、するりと白い封筒が舞い込んでくる。
真っ直ぐにイオリの手元に飛んできたそれを二本の指で挟み受け止めた彼は、手紙の封を切った。瞬間、「団長! どこでほっつき歩いてんだよ! もう出発するぞ!」と威勢のいい声が木霊す。
「……もうそんな時間ですか」
団員からの帰船命令に肩を竦めた彼は、決着のつかなかった盤上を一瞥してからティーカップに手を伸ばした。ハーブの香りを吸い込みながら、紅茶を味わうイオリは、ふうと一息ついてから席を立つ。
「また来ます」
「遠慮します」
にこりと拒否の言葉を返したユキに、同じく笑顔を返すイオリは、月の浮かぶ空が見える窓を開け放った。
「ではごきげんよう、Compatriotas」
そう告げて、窓の外へと消えた彼を見送ったユキは、「Herejesの間違いだろう」と小さく笑う。
「……モモ、チェスの相手、彼に代わってやってくれるかい?」
「……! はい」
声をかけられ、頷くモモは、先程までイオリが座っていた椅子に腰を下ろした。盤上を眺めて、少し考えてから、ナイトに指を伸ばす。
大きな窓は開かれたまま、森の香を含んだ風が、二人の髪を揺らしていた。
Fin.