学業、アイドル活動、プロデュース業、家事諸々。
家事は、学生で勉強もあるから、と他のメンバーが担ってくれている部分も多いし、IDOLiSH7のプロデュースに関することを人前で話すことはないが、すべてをこなし、比較的規則正しい生活を送っていると言うと、大抵の人は驚いた顔をする。
要領がいいんだね、と言われることには慣れていたし、時間の使い方を教えてほしいと頼まれたこともあった。
時間の使い方、なんて。やるべきことを整理して、こなしていくだけだ。先行的に物事を進めることも大事だろうか。そんな話をして、まあ当たり前のようなことですが、と言えば、その当たり前を継続できることがすごいんだ、と感心される。
別段、すべてを両立させられていることを自慢に思うことはなかった。それが一織には当然のことだったからだ。しかし。
「一織、すごい!」
無邪気な声で、我が事のようにはしゃがれると、満更でもない気分になる。すごいでしょう、と自慢するわけではないが、少しばかり気分がよくなるのだ。その擽ったい気持ちを誤魔化すように、「これくらい当然です」と言い返す。
兄に褒められたときも、頬が赤く染まるような、擽ったい気持ちになるが、それとはまた異なる感情だった。
しかし、別に彼に──陸に賞賛されるために過ごしているわけではないし、特段意識して頑張っているつもりもない。自らの意志で行っているため、それらは苦でもなかった。つらいと思ったことはない。……けれど。
(……流石に疲れたな……)
早朝からドラマの撮影があり、夕方から夜にかけて音楽番組の収録、隙間時間には紡から事前に貰った資料を確認し、アイドルとしてではなくプロデューサー目線の意見を書き留める。帰宅後メンバーとともに遅めの夕食をとり、自室へ戻ってからは、明後日提出予定の学校の課題をしていた。
ノートに走らせていたペンを止め、嘆息した一織は、ふと時計に目を向ける。
明日も早い。体調管理のことを考えたら、そろそろベッドに入った方がいい時刻だった。
始終頭を回し、睡眠時間も減っている。そんな生活が、数週間続いていた。メンタル面の疲弊も含めて、一度どこかでリセットしなければ、と思う彼は、椅子に腰掛けたまま伸びをする。
そのとき、コンコンと控えめなノックがあった。どうぞ、と答えれば、「ぁ……起きてた」と陸が顔を覗かせる。
数日ぶりに顔を見たわけではない。今日は、収録も一緒だったし、夕食もともにとった。それなのに、彼の顔を見てほっと力が抜ける自分がいる。
感覚的には、安堵に近い。陸の顔を見るだけで、癒やされるのだ。
「起きてますよ」
「もう寝る?」
「まあ……そうですね」
短い質問に、曖昧に答える。そろそろ就寝の支度をするつもりだった。けれど、彼とお喋りをするのなら、もう少し……否、陸の身体を考えたら、やはり、もう寝るところだった、と告げて、彼にも休むよう促した方がいいのかもしれない。
ともあれ、用件を聞こう、と腰を上げ彼に向き合った一織は、「どうかしましたか?」と尋ねる。すると陸は、「……一織、疲れてそうだったから」とどこか気まずげに微苦笑した。
「えっ」
見抜かれていたことに驚く。
ともに過ごす中で、疲れを見せたつもりはなかった。車内でのうたた寝程度なら、皆していることだ。
無理やり隠すつもりもなかったが、心配をかけたくないため変わらぬ態度で過ごしていたのだが。
瞠目した一織が図星だったのだと悟った陸が、「オレだって、一織のこと見てるんだからな」と腰に手を当てる。
「人にはちゃんと休めっていうのに、自分はギリギリまで頑張るんだから」
「……別に、ギリギリではありませんよ。自分のキャパはわかっています」
「でも、疲れないわけじゃないだろ。だから──」
だから?
もったいぶるように一拍間をおいた陸は、ふふ、と笑ってから両腕を広げた。
「一織のこと、癒やしに来ました!」
おいで、と抱擁を誘うような仕草をする彼に、目を瞬かせる。「何してほしい?」と訊かれて、「ぇ……」と困惑した。
「オレの方が年上なんだし、一織もたまには甘えてよ。ね、何してほしい?」
腕を広げたまま近づかれて、困惑している間に、ぱっと両腕を閉じた陸に抱きつかれる。一織は、彼に捕まったような気分で「別にしてほしいことなんて……」と返すが、「何かあるだろ」と頬を膨らませた陸に上目遣いをされて、思わず目を逸らした。
そうやって愛らしい仕草をされるだけで、疲れが吹き飛ぶような感覚になるのだが、伝える意気はなく。「一緒に寝る?」と提案されて、僅かに食指が動いた一織は、年上ぶった表情をしている彼を見下ろす。
自分を甘やかそうと気合十分な彼に愛しさが溢れて、微笑がこぼれそうになった。
こんなに可愛らしい人が、年上の恋人、なんて。普段はからかい半分に、年上に見えない、などと言ったりするが、本当はそんなところも愛しいのだ。
これも、伝えるつもりはないけれど。
「いーおーりー?」
黙っていると、眉をハの字にした陸に顔を覗き込まれる。
七瀬さんの、甘やかしたい、という願望を叶えてやるためにも、たまには……甘えても、いいのかもしれない。甘え方なんてわからないから、「一緒に寝る、って……あなたがしたいことではないんですか?」なんて言い方しかできないが。
自分がしたいだけではないか、と言われて、うっと言葉に詰まった陸が、「それもあるけど……」と声を萎める。それもあるのか、と正直な彼に胸の内だけでツッコんだ一織は、思わず相好を崩した。そして、緩んだ表情を引き締めて、一度咳払いをしてから、「……いいですよ」と返す。
「丁度寝不足だったので」
「本当!? じゃあオレ、枕持ってき」
「七瀬さんの部屋で、寝ましょう」
ぱぁっと表情を明るくして、早速部屋を出て支度してこようとする陸を引き止めた。シングルのロフトベッドに男二人で眠るのは、流石に心許ない。
きょとん、とした陸は、そんな一織の懸念を知ってか知らずか、「わかった!」と笑顔で頷く。
そして一織は、彼に向かって「あと……」と付け足した。
「もし、よろしければ……寝る前に、七瀬さんの歌が……聴きたいです」
羞恥を抑えて頼めば、目を瞬かせた陸が、「……子守唄?」と小首を傾げる。端的に言えばそういうことなのだが、子守唄と言われると子供っぽく聞こえた一織は気まずげに視線を背けた。
彼の歌が、好きだ。陸の歌声を聞くと、胸が高鳴って感情が揺さぶられる……同時に、澄んだ甘い声に癒やされ、心が穏やかになった。
ここ最近、眠りにつく前の日課が、彼の歌声を聴くことだと言ったら、陸は目を丸くするだろう。
彼の歌声を聞きながら眠りにつくと、安眠できるのだ。そんなことは、恥ずかしくて言えないけれど。
ふい、とそっぽを向くような仕草をした一織の気持ちを察した陸は、「いいよ」と笑う。
「じゃあ、準備ができたらオレの部屋に集合!」
そう言った彼の言葉を合図に、一度解散した二人は、十数分後──、今度は陸の部屋に集まっていた。そして、枕だけ持参していた一織は、ベッドの上に正座している陸を見て、「……何してるんですか」と訝しげな顔をする。
丁度頭の位置に座られているため、枕を置くことができない。邪魔ですという意味もこめて半眼を向けるが、陸はにこにこと自分の膝を叩いた。
「一織! 膝枕してあげる!」
「はぁ?」
突拍子のない誘いに眉根を寄せれば、「子守唄と言えば、膝枕だろ!」と輝く瞳を向けられる。「誰の入れ知恵ですか」と偏った知識の出処を訊けば、「昔たまに、天にぃがしてくれてたから……あ、お腹枕でもいいよ!」と返ってきた。たまにであれば、子守唄と言えば膝枕、とは言えないだろう。そもそも、幼い頃の天とのやり取りを踏襲する謂れはない。
しかし、就寝前に陸と言い合う気力がなかった一織は、「……わかりました、けど、それだと七瀬さんが眠れないでしょう」と枕を持ったままベッドに腰掛けた。
「それは……一織への膝枕は、一織が寝たら解除……とか……?」
それだと、彼の膝に載せた頭を下ろされる瞬間、目覚めるに違いないのだが。
顎に手を当て、うーんと唸りながら提案した彼への反論をも飲み込んだ一織は、「わかりました」と頷く。
癒されるために傍にいるだから、やはり言い合う気にはなれなかったのだ。
ただ……今のところ、陸に甘えるというよりも、彼の提案を聞き入れている感覚の方が大きいのだが、どうしたら自然と甘える態勢が取れるのだろう。そんなことを思いながら、はりきった様子の陸の膝に頭を載せ、仰向けに寝転がる。
「失礼します」
「どうぞ!」
「…………」
「…………」
「…………」
硬い。アイドルとして適度な筋肉がついている彼の太腿は、弾力があり綺麗な形をしていたが、通常の枕に比べて硬い、という印象の方が強かった。
一織は、参ったように眉を顰める。ふかふかと沈むこともないため、無論、位置や高さの調節などできるわけもない。
(……首を痛めそうだ)
子供の頃、親や兄に膝枕をしてもらった記憶が、あるようなないような。少なくとも、ある程度成長してから誰かに膝枕をしてもらうのが初めてだった一織は、世間で言われているほど膝枕とはいいものだろうか、と疑念を抱く。
これでは寝付けない、と思った彼は、「七瀬さん」とご機嫌な陸に声をかけた。
やはり、膝枕は結構です。
そう告げるため、口を開く、が。
「っ……」
頭をそっと挟み込むように、両側頭部に手を添えられた一織は目を瞠る。あたたかな陸の手が、よしよしと一織の頭を撫でた。
「えへへ……大人しい一織、可愛いな」
「誰が……可愛いと……」
くしゃくしゃとあやすように撫でられるだけで、ふっと身体の力が抜ける。頭を載せている陸の太腿のぬくもりさえ心地よくなってくる一織の瞼が、ぐっと重くなった。
猛烈な眠気に襲われて、反射的に覚醒すべく眉間に握り拳を当てる彼は、「眠いんだろ」と言われて、「別に……」と返す。その瞬間、影が差して、ちゅっと唇に柔らかな感触があった。
「っ!」
上から覆いかぶさるようにキスされた一織は、目を見開く。そんな彼を愛しそうに見つめる陸が、瞳を細めた。
甘く溶けた苺のような色合いの瞳に手を伸ばす一織は、促されて上半身を屈めた陸の頭に手を添える。ぐっと引き寄せて口付ければ、瞠目した彼の頬に朱が差した。
「っ……」
「さっきのお返しです」
そう告げれば「……い、一織、眠いんだろ」と上擦った声が降ってくる。
先程と同じ言葉。だけれど、先のあやすような声音ではなく、負け惜しみのような悔しそうな声に、ふふ、と笑みがこぼれた。
陸に口付けられて、一瞬脳が覚醒したが、睡魔の方が勝る。瞑目すれば、弄られていた髪先から彼の指が離れていき、そっと一織の頬に触れた。
優しい夜の空気を壊さないように、宙に溶けるような柔らかな声が音を紡ぎ始める。
昔、親や兄に歌ってもらった子守唄。歌詞が一織の知るものと少しばかり異なるのは、地域性だろうか。
近所迷惑にならぬよう、声を抑えて、されど一織の耳によく届く歌声は、穏やかで優しかった。人柄がそのまま声に溶け出したような、素直な歌声が好きだ。彼の歌を聴いていると、自然と表情が緩む。
(……やっぱり……七瀬さんの歌は……)
最高だと、誇らしさも相まって口元に弧を描く一織は、陸の歌に誘われるように、微睡みに沈んでいく。
普段、疲れを感じて滅入るタイプではないのだが、心に寄り添うような彼の声が心地よくて、そのまま眠りに落ちていく一織は、しばらくしてから穏やかな寝息を立て始めた。
「あ……一織、寝ちゃった」
歌うのをやめた陸が、小さく呟く。一織が、人前でここまで無防備に眠るなんて珍しい。そう思う彼は、子守唄をねだってきた一織の前髪に触れた。
ワンフレーズだけ子守唄の続きを口ずさめば、彼の寝顔が柔らかく綻ぶ。
「おやすみ、一織」
ここ最近、忙しそうだった。普段疲れを見せないけれど、疲れないわけではないだろう。自分の歌が、一織に安眠を、癒しを与えているのだと思うと、少しばかり誇らしくなる。
そっと一織の頭の下から自身の太腿を抜き、代わりに枕に頭を載せてやる陸は、目覚めない彼にほっと息をついた。
眠りが深いのだろう。起こさないよう注意しながら、彼に掛け布団をかける。そうして、もぞもぞと一織の隣に横になった陸は、彼の髪と自身の髪が混じり合うような距離に頭を置き、ふふ、と微笑した。
おやすみ、──おやすみ。胸の内で唱えるように呟いていると、一織の寝息に釣られるように、陸の瞼が重たくなっていく。
明日、朝起きたら、一織はどんな顔をするだろう。
膝枕で、子守唄を歌われながら眠りについて、恥ずかしそうに頬を赤く染めているだろうか。それとも、余裕ある表情で礼を言ってくるだろうか。
そんなことを考えていると、眠気で思考が曖昧になっていく。そうして眠りに落ちた陸は、しばらくした後、彼がふっと目を覚ましたことを知らない。
「──」
明かりが消された暗闇の中、陸の息遣いを聴きながら再び瞑目した一織は、彼の寝息を子守唄に、もう一度うとうとと緩やかな眠気に身を任せるのだった。
Fin.