ふわふわと、カットしたばかりの毛先に触れる伏黒は、嬉しそうな彼を見下ろして小さく微笑んだ。贈られる礼の言葉に会釈を返し、トリミングサロンのカウンターで会計を済ませた客を見送る。
ポケットの中に入れていたスマートフォンが震えて、メッセージの受信に気づいた彼は、控室に引っ込み端末を確認した。徒歩数分の場所にある美容室の店長・五条からのメッセージ。美容師免許も持っているため、時折五条の美容室で臨時に働いている関係だったが、本日その予定はない。急遽の案件が発生して、人手が足りないとき突然助っ人を依頼されることもあったが、基本トリミングサロンの営業日は対応困難だ。
今日は次の予約まで一時間程空いているため、サロンスタッフと調整すれば何とかなるかもしれないが。
そんなことを思いながら、メッセージアプリを開いた伏黒は、送られてきたメッセージに目を通す。
『だ~れだ?』
意味のわからない問いかけに眉根を寄せた瞬間、追加で画像が送られてきた。五条の美容室だとわかる背景。スタイリングチェアに座っている誰かの後頭部を写した写真。見間違えるはずがない。桜の色をした髪も、その下に見える黒と茶が混ざったような色合いの髪も、どちらも地毛だと聞いたとき、マジか、と仰天した特徴的な髪の主を、伏黒はよく知っていた。
『僕のカットで格好よくキマった虎杖悠仁君です!』
伏黒が返事をするより先に答えを送ってきた五条に、端末を握る手が震える。
五条が、虎杖のカットを担当した、ということだけが脳内に明滅していた。ミシリと不吉な音を立てる端末を握り締めたまま、同じ控室にいたスタッフに「十五分だけ席外す」と言ってサロンを飛び出す。
虎杖は、いつも美容室に来る際、伏黒を指名していた。伏黒も、彼の担当を他の美容師に譲ることはなかった。今日彼が来るなんて聞いていない。
五条にカットを自慢され、苛立つ感情のまま美容室の扉を開けた伏黒は、バン、と轟く開扉の音と、扉につけられた鈴が暴れるカランカランという音の二重奏に静まり返った店内を見渡す。
カウンターで会計をしている虎杖が、呆気に取られた顔でこちらを見ていることに気づき、彼は不機嫌さを隠そうともせず虎杖のもとに歩み寄った。
「え、伏黒!? 何でいんの!? 仕事は!?」
「うるせぇオマエこそ何でいるんだよ」
驚いている彼に、捲し立てるように早口で問う伏黒は、「待って恵仕事放って来たの?」と奥から顔を覗かせた五条に視線を向ける。睨みつけられた五条は、愉しそうに爆笑していた。
「え……っあ、五条さん、もしかして伏黒に俺が来てること知らせたのかよ!? っ」
カットされたばかりの髪先に触れられた虎杖は、整えられた様を確認するように指で弄る伏黒に、気まずい思いで視線を彷徨わせる。
──いつも、虎杖は伏黒を指名していた。臨時のため出勤日が定まっていない彼のいる日に合わせて、美容室に通っていた。お互いにお互いを譲らない関係だった。それなのに。
「……俺のカットじゃ不満だったか?」
「っ!」
「俺に黙って五条さんにカットしてもらいに来るくらいなら、いっそ」
「ちょ、っと、待ってよ伏黒! そういうわけじゃ」
「そういうわけじゃねぇなら、何なんだよ」
伏黒の厳しい眼差しに晒され、たじろぐ虎杖が口を噤む。ヘアセットを終えた他の客が、二人の間に漂う剣呑とした雰囲気に困惑しているところ、五条が「ただの痴話喧嘩だから気にしないでねー」と軽い調子で空気を中和させていた。
黙って自分以外の美容師にカットを任せた虎杖の選択が不満で、悔しくて、渦巻く感情のまま彼を見据える伏黒は、きゅっと唇を引き結んだ虎杖が俯くのを見て、拳を握り締める。そして。
「ッ!?」
ゴッと勢いよく頭突きされた伏黒は、ぶつかった額に手を当てた。
「俺だって、カットされるなら伏黒がよかったよ! でも、今日伏黒出勤日じゃねぇし、急だったから」
「急に髪切らねぇといけねぇ状況なんてあるか」
言い返す彼に、虎杖は「あるよ」と唇を尖らせる。「ある、っつーか……伏黒には見られたくなかったっつーか……」と歯切れ悪くなる彼を促せば、「……今日、ビル火災で緊急の招集がかかって」と虎杖が口を開いた。
消防士である彼は、呼び出しに応じ、消火活動にあたっていた。屋内に残された人を救助する際、咄嗟に防火衣のヘルメットを要救助者に使ってしまったため、炎に晒された髪が一部焼き焦げたのだ。
消防士として正しい判断だったのかどうかは、何とも言えない。しかし、自分を蔑ろにするような救助の仕方に対し、伏黒はいい顔をしないだろうと思った。自分を大事にしてくれている伏黒は、その咄嗟の行動に、虎杖本人よりも、誰よりも胸を痛ませるだろうと思った。だから、彼に知られないように、焦げた部分をカットしてもらいに来たのだ。
「あーもー……五条さんが伏黒揶揄うから……」
「……怪我はないのか?」
バレちゃったじゃんか、と気まずそうに言いかけた虎杖は、伏黒の問いかけに目を瞬かせる。事情を聞き、落ち着いたらしい彼に「……うん、怪我はない」と頷き、安心させるように笑った。
ホッと肩の力を抜いた伏黒が、虎杖の髪を撫でる。
「次からは、俺に連絡しろ。出勤日じゃなくても俺が担当できるように調整するから」
「トリミングサロンのシフトもあるだろ、無茶言わんでよ……」
優しく労わるように撫でてくれる手が心地いい虎杖は、彼の頑固さに苦笑した。和やかな雰囲気に包まれる中、黙って見守っていた五条が「恵、本業より優先してんじゃん。本格的にうちで雇われる?」と口を挟む。
「虎杖専門なら」
さらりと答える彼に、「それもうご自宅カットでよくない?」とツッコむ五条が、プライベートでやれよ、と続ければ、伏黒が瞠目し、その手があったか、という顔をした。
何だか話が変な方向に行っている気がして、「伏黒、サロンの方は大丈夫なの?」と虎杖が水を差せば、「ああ……そろそろ戻らねぇと」と我に返ったように伏黒が時計を見やる。
エプロンをつけたサロンの制服のまま来ていた彼が、事情に納得して踵を返す瞬間、伏黒の手を掴んだ虎杖は「次からは、ちゃんと伏黒にお願いするから」と告げた。首だけで彼を振り向いた伏黒が、「……当然だろ」と返す。
「いってらっしゃい」
そう虎杖に見送られた彼は、サロンに戻るため美容室を出る。五条に揶揄われた苛立ちはあった。けれど、それ以上に虎杖の配慮に対する愛しさが湧く。同時に、今日危険な活動にあたっていた彼のことを想う伏黒は、今日は帰りに何か虎杖の好きなものを買って帰ろうと思いながら、通りを歩くのだった。
Fin.
